館長より、君へ。 2000年 11〜12月

<12月号>

危機の世紀へ

 アメリカの次期大統領にブッシュ氏が決まった。アメリカの大統領選の混迷は、世界の混迷を象徴しているような気がする。代議制民主主義が運営上の行き詰まりを呈していると言っても良い。20年以上も前に、民主主義の統治能力の危機を訴える国際的なシンポジュームが開かれた事があったが、今日の日本をはじめとする先進主要国家にとっては、切実な課題であろう。しかし、一方では、未だに民主主義が社会に定着していない国も多いのだ。世界の国々における政治的、経済的、文化的格差は、まだまだ大きい。いや、それどころか、IT革命による、国際的な高度情報社会の到来は、情報文化の格差をますます拡大させようとしている。画一的な情報網の下で、皮肉にも価値観の多様性や国家間の様々な分野での格差が進行しているのだ。国際共通語となりつつある英語の地球的規模の影響力も無視できない。英語の学習は一方では必須だが、一方では地域文化を破壊する脅威ともなる。現実的で、かつ慎重な対応が必要だろう。分裂と普遍という矛盾こそが来るべき新世紀を象徴することになろう。
 しかし、新世紀が抱える問題はそれだけではない。いや、それ以上に深刻な問題が山積している。国連食糧農業機関(FAO)は、食糧不足で栄養失調状態にある人々の数を、全世界で約8億人と推定する。砂漠化も深刻だ。国連環境計画の報告によると、地球上の全陸地の約4分の1が、その影響を受けている。さらに、地球温暖化現象は刻一刻と人類を危機的状況に追いつめている。現状のままでは、2100年の温度上昇は最高6度にまで達するという。3度でも海水面は1メートルも上昇するのだ。平野部の世界の主要な大都市は深刻な打撃を受けるだろう。国際協力は一向に前進していない。民族・宗教を巡る対立や紛争も一向に解決の見通しが立たないままだ。パレスチナもユーゴもチェチェンも、問題解決を新世紀に先送りしている。核軍縮も停滞したままだ。いや、それどころか、核兵器の拡散は確実に水面下で進展しつつある。アメリカのミサイル防衛網の構築は現実的な選択だったと後世、評価される時が来るかもしれない。もっとも人類がその時まで生き残っていたらの話だろうが。「危機の先送り」、有り難くない言葉を20世紀は残す事になりそうだ。21世紀は「危機の世紀」となろう。
 2000年の総括は20世紀の総括でもある。我が日本は戦争と繁栄という、激動に次ぐ激動の世紀を経験した。世界も二つの世界大戦を経て、さらに絶える事のない紛争の時代を経験しつつある。日本は戦後社会の様々な問題点を、やっと正面から見つめ、新たな国家目標を模索しつつある。世界は、しかし、混迷から脱却する意志すら確認できないでいる。我々人類社会が抱え込んでいる課題は本当に深刻である。しかし、我々は、逃げる訳にはいかない。新世紀を生きる我々はこの課題を22世紀に持ち越す事のないよう解決していかなければならない。21世紀に希望はあるのか。いや、希望を忘れてはならない。危機の世紀を希望の世紀へ変えられるかどうか、人類の英知が試されているのだ。その幕開けの新年を我々はもうすぐ迎える。
 良い年を迎えられんことを。
 

<11月号>

学び給え

 1963年11月22日、アメリカのケネディ大統領がダラスで暗殺された。当時、小学生であった館長は、一生忘れられない程の大きな衝撃を受けた。毎年11月になると、映画「JFK」を繰り返し見てしまうのは、この時に受けた衝撃の影響だと思う。映画の話は別の機会に譲るとして、今回はケネディの就任演説の言葉を紹介したい。――And so, my fellow Americans, ask not what your country can do for you: Ask what you can do for your country.(――だから、我が同胞のアメリカ人諸君よ、諸君の国が諸君のために何をしてくれるかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うていただきたい。)民主主義社会の理念をこれほど簡潔に表した言葉はないだろう。結局、祖国がどのような国になり、そこで暮らす国民がどのような生活を保証されるかは、全て国民一人一人の責任だということだ。最近、論議される教育問題の一つに、豊かな社会が学びへの意欲を喪失せしめているのではないか、という問題がある。確かに、生きるため、食べるために、必死の思いで学ぼうというような思いを、今の日本の若者に求めるのは無理であろう。しかし、ケネディの言葉のように、自分たちがこれから生きていく社会を決定するのは自分たちであるという厳然たる事実は否定しようがないものである。国民が無知であればあるほど、また国の将来に無責任であればあるほど、そのつけは一層重く、国民にいずれのしかかってくる事を忘れてはならない。何のためにこんな勉強をしなければならないのだ、と子供たちは不満を述べるが、知的な興味と学びへの欲求を失ったものは、自らの自立と自由を放棄したのに等しいのだ。国民が皆そうなれば、もはやその国は滅びるしかない。あるいは他国の属国として奴隷の如き生活を強いられるか、少なくとも誇りを捨てた根無し草の民として生きねばならなくなるだろう。この国を守り、豊かで安全な社会を保証するのは、他ならぬ諸君の学びへの欲求なのだ。諸君はこの真理を理解し、その責任を果たさなければならない。学び給え。各自にもっともふさわしい方法でよい。各自にふさわしい目標を立てよ。どんな科目であろうと、人類の英知の結集したものなのだ。何の不足があろうか。まずは先人たちの苦労の結晶を学べ。しかる後に新たな時代にふさわしい英知を創造せよ。真面目に学ぶ事は決してまわりから浮いた事でもおかしなことでもないのだ。逆だ。さかさまだ。学ぶ事を馬鹿にする事こそ、人間にとってもっとも恥とすべき、愚かな事なのだ。館長が保証する。真剣に学ぶことは尊い事なのだ。自信と誇りを持って学ぶがよい。周りを気にするな。恐れるな。堂々と学び給え。

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