館長より、君へ。 2001年 7・9月

<9月号>

米国の決断と日本の進むべき道

 米国で起こった同時多発テロは、アメリカ社会だけではなく、全世界に大きな衝撃を与えた。26日現在、ペルシャ湾やインド洋には陸海空の米軍が集結しつつあり、軍事行動は不可避の情勢になっている。米国大統領はアメリカ国民に対して今回のテロ事件を「戦争」と称し、総力戦を訴えた。対テロ戦争に突入せんとする米国の決断は揺るぎないものになっている。想像を絶するといってもいい程の、多くの犠牲者たちのことを考えると、当然の決断であり、米国にとって今回の武力行使はやむをえないと言えるだろう。国際世論もその多くは「テロとの戦い」を全面的に支持している。
 しかし、一方において、冷静な対応も必要だろう。そもそも今回のテロはパレスチナとイスラエルの民族的宗教的紛争が原因の一つになっている。さらに、そのより直接的な紛争の理由を求めれば、膨大な難民を生む経済的貧困さという社会的背景にたどり着く。端的に言えば、人類社会における富の偏在である。貧困は社会を政治的にも不安定なものにし、不安定な政治は内乱や紛争を引き起こす。それは必然的に難民を生じさせる。そして、難民の存在こそがテロ兵士の精神的な温床となっているのだ。自由経済を非難しているのではない。ソビエト連邦における経済的破綻と政治的崩壊は人類に大きな教訓を与えた。だが、難民としてしか生きていく道を持たぬ多くの人々を生み出してしまうような経済的貧困地域をなくさぬ限り、テロとの戦いは永久に続くだろう。
 さらにもう一つ、国際法上の問題もある。国連憲章51条は次にように規定している。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と。要するに武力攻撃が生じた場合には例外的に自衛権を認めているのだ。従って、今回のテロを武力攻撃とすれば、米国の武力行使も当然の措置となる。しかし、武力行使は一般的には禁止されているのであり、51条も例外的なものである。米国が国際法上も堂々と長期にわたる軍事行動を選択できるのは、安保理決議によって「国際法廷」を設置し、その上で国連主導の多国籍軍による武力行使を行う場合だけであり、これが国際法上の正しい筋道である。単なる報復攻撃は侵略行為と同じになってしまうのだ。まして、今回は通常の「国家対国家」の戦争ではない。「国家対テロ組織」という前例のない戦いである。本来ならば、国際的な治安・警察機構によって対処すべきものだ。冷静な対応を求める所以である。しかも、さらに問題となるのが、「国際法」である。そもそも「国際法」はその根拠と実効性があいまいなものであり、法としての強制力には疑問がある。国連の力にも限界があることは言うまでもない。結局は軍事的にも経済的にも力のある国の考えが国際社会の正義となってしまう傾向が強い。現代の国際社会が抱える難しい問題である。「テロとの戦い」を批判しているのではない。テロリズムは根絶すべきものだ。勇気を持って戦うべきだ。ただ、感情的になりすぎて、冷静な理性的判断を忘れて欲しくないだけだ。
 日本は「対テロ戦争」にできる限りの協力を惜しんではならない。国際社会の一員として応分の行動が求められているのだ。必要ならば法改や新法の制定にも積極的に取り組むべきである。しかし、その一方で、先に述べた経済問題や国際法上の問題等に対しても冷静に取り組む姿勢を保つべきだろう。今回の事件は、21世紀を迎えて、日本が国際社会の中でどのような道を歩むべきか、この戦後半世紀以上に及んで未だ決着のつかぬ重大な課題を、図らずも日本国民の前に浮き彫りにさせた感がある。
 今、地球は大きく病んでいる。次代を背負う諸君の英知と勇気ある行動力に期待したい。
 

<7月号>

心して夏を迎えよ

 今月16日、インドとパキスタンの首脳会談が決裂した。カシミール地方の帰属を巡って両国の主張が対立、共同宣言の署名は見送られた。米国では今月に入ってからミサイル防衛網の迎撃実験に成功、ミサイル防衛網配備の動きが加速された。一方、自爆テロとその報復攻撃が繰り返されている中東では、イスラエル軍が18日未明、ヨルダン川西岸の戦車、歩兵部隊を集結させ、臨戦態勢に入った。人類は21世紀には共生と平和を目指すのではなかったのか。しかし、現実は共生どころか、紛争地域はさらに拡大され、紛争の火種は尽きるところを知らない。地球の温暖化現象もさらに促進されつづけている。環境破壊はますます拡大し、このままでは人類の生活環境そのものが消滅してしまうかもしれない。人類の英知とは一体何なのか。人類は一体どんな道を進もうとしているのか。高度情報化文明は自らの膨大な情報に振り回されて崩壊してしまうのかもしれない。IT革命とは実は人類社会にとっては破局への序曲かも知れないのだ。われわれは前に向かって走りつづけるばかりが大切なのではない。時には踏みとどまって思索を重ねることも必要だ。経済も文化も教育も、国際社会の動きも、今、何もかもが、上滑りの状態で走っているような気がしてならない。われわれは本当はどうあるべきなのか。しっかりと考えることが必要だ。そして変えるべきは変え、守るべきは守らなければならない。今、誰がその役目を果たそうとしているのか。政治家か、科学者か、一般市民か、いや、残念ながら、今の大人たちにそれだけの力はない。この地球の未来を託せる者は、若い諸君である。この夏を諸君はどのように迎えただろうか。今、諸君は学ぶ時である。勉学こそが諸君の任務である。明日の地球を担うために、今日の日を大切に過ごせ。心して夏を迎えよ。宮沢賢治の詩「生徒諸君に寄せる」には、次の1節がある。

「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ」

21世紀を迎えた人と地球には、確かに新たな詩人が必要なのだ。諸君の健闘を祈る。

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