館長より、君へ。 1999年 1〜4月

<4月号>

国家を背負え

 国際化とは国家がなくなることではない。国家が融解してしまうことが今日の国際化の理想だと思っている者がいるとしたら、それは間違いだ。遥かなる未来において、地球人類が一つの政府の下に統治される時代を想像することはできるかもしれないが、今は違う。現代の国際化とは、独立国家同士の協力であり、対立であり、競争なのだ。EUは一つの試みとして注目すべきだが、出発点に独立している各国家が存在していることを忘れてはなるまい。館長が言いたいのは、日本は国際化における前提たる独立国家として存在していないということである。日本は断じて真の独立国家とは言い難いのだ。どう言いつくろっても駄目である。
 日本は今次大戦で負けた日からアメリカの属国となった。現行憲法は決して自主制定されたものではなく、これは押し付けられた屈辱憲法である。この制定過程を、まあ、いいではないか、とする者がいるが、とんでもないことである。これは国家としての、国民としての誇りにかかわることであり、いい加減に済ますことは断じてできない。2000年の日本の歴史においても最大級の屈辱である。一日も早く、国民自らの手によって、新たに憲法を制定すべきなのだ。
 憲法の内容にも触れておこう。問題点は一つである。自立的防衛権の獲得である。換言すれば、国防軍の再建である。自らは自らの手によって守るという国際的常識を具現化するだけだ。平和主義だの、戦争放棄だの、あまりにも愚かな題目をいつまで唱えつづけていれば気が済むのか。いい加減にせい、とどなりたいところだ。内乱、紛争、虐殺の続く国際社会において、一国平和主義ほど非常識な態度はない。机上の空論をもてあそんでいる暇はないのだ。国際社会で物笑いの種にならないためにも、国防軍の存在は必要である。堂々と主張しようではないか。国民として国防の義務があることを。堂々と主張しようではないか、国民の生命と財産は国防軍によって守られるべきだと。そう、我々は守られるべきなのだ。我々には、守られる権利があるのだ。
 次代を背負う諸君よ。諸君は何者も恐れることはない。堂々と国家を愛せ。日本を愛することだ。愛国心こそは最高の道徳なのだ。日本は敗戦後50年にわたって、この道徳をあらゆる世代にわたって封印してきた。大戦直後のアメリカの対日戦略がそうさせたのだ。もういいのだ。国を愛していいのだ。国を守るために立ち上がっていいのだ。反日勢力の洗脳から一日も早く覚醒せよ。堂々と国家を背負え。
 

<3月号>

卒業式に臨んで

 卒業式の季節になった。PTA 会長という立場上、卒業式で挨拶をする機会が多いが、その都度、内心思うことがある。この子供たちは、一体、何を学んで卒業するのだろうかと。勿論、さまざまな学科について学んでいることはわかるが、これからの日本国を支える国民として、大切なことをどれだけ学んで卒業していくのか、ということになると、いささか不安である。
 小中学校の児童、生徒が学ばなければならない、一番大切なこととは何であろうか。言うまでもなく、それは国民としての誇りである。これ以外に何があろうか。国民として、あるいは民族として、誇りを持たずして、生きていけようか。誇りを教えずに、教育が成り立とうか。日本人としての誇りこそ、小中学生が身に付けなければならない、最も大切なことである。
しかし、現状はまことに驚くべきだ。敗戦後における占領軍の一方的歴史観を押し付けられ、祖先の血と汗と英知の結晶と言うべき祖国の歴史は無残にも切り捨てられてしまった。全てが悪として葬り去られてしまったのだ。このマインドコントロールは極少数の者を除いて、いまだ解かれていない。その国の歴史を否定することは、その国家の存在そのものを否定することになる。この大地に連綿と築かれてきた祖先たちの歩みを否定して、どうしてこの国の民が存立しえようか。どうして祖国への誇りを持てようか。
 日本人は悲憤慷慨すべきなのだ。国民として、民族として、屈辱と怒りを感じなければいけないはずだ。いつになったら、この国の民は覚醒するのか。この国を守るために、愛するものを守るために、命をかけて戦い、死んでいった祖先のたちの歴史を切り捨てることなどできようか。
堂々たる日本人としての誇りを持って、卒業して欲しい。心からの願いである。
 

<2月号>

若者たちへ

 人間は社会的動物であり、社会的教育を必要とする動物である。この前提を無視した教育論は全くの机上の空論である。しかし、戦後50年以上にわたって行われてきた日本の教育は、まさにそれである。子供はわがままに育てても社会性を身につけるものとしていた。これほどの誤りはない。とんでもない話だ。個性だ、人権だと叫ぶものがいるが、どこか話がおかしいのではないか。いわゆる天才的な人間は別に論じなければならないかもしれないが、一般的に言って、個性はまともな社会人として発揮してもらいたいものだし、社会性を身につけさせることは個性をつぶすこととは違う。どうもそのあたりの交通整理がうまくいってないのではないか。繰り返すが、わがままにさせることと、個性を尊重することとは違うのだ。人としての正しい生き方を教えず、社会の規範も教えず、日本人としての礼儀もわきまえさせず、いわば、人間を社会的人間として、日本国民として、教え育ててこなかった結果が、今日の学級崩壊の姿であろう。人の道を知らぬものに、人としての対応を要求する方が間違ってるのかもしれない。今日の日本の若者が悪いというよりも、そうさせてしまった戦後の大人たちの責任を明らかにすべきだ。そういう意味では今の若者たちは誠にかわいそうである。人としてどう生きたら良いのか、何が正しいのか、正しくないのか、わからないまま大きくなっているのだ。日本人としての意識も、気概もないに等しい。責めているのではない。これは戦後の国家指導者の責任だ。ただ若者たちには、自分たちの置かれている状況を理解してもらいたいのだ。そして現状から脱却するために勇気を持って人の道を学ぶ努力をして欲しい。アドバイスをしよう。歴史を学ぶことだ。ただし、戦後書かれた歴史の本はいけない。戦後、日本が置かれた政治的状況の影響を受けているために、どうしても思想的政治的偏見がはいっているからだ。驚くべきことかもしれないが、そのもっともひどいものが、君たちが学校で使っている教科書なのだ。本当に残念なことだが、真実は真実だ。国語や社会の教科書はもはや修正さえ不可能な程、政治的影響を受けている。ではどうしたら良いのか。それは古典を読むことだ。それも古文の原典で読まなければならない。分からないところがあってもよい。テストのための試験勉強ではないのだ。何回も声に出して、朗読して欲しい。周りに信頼できるものがない以上、古典に頼るしかないのだ。竹取物語でも良い、平家物語でも良い。とにかく古典を読むことから始めて欲しい。それから歴史の本を読もう。それも外国人によって書かれたものが良い。世界史から読もう。外国人だからと言って、偏見がないわけではない。しかし今日の日本人による歴史の本を読むよりはましだと思う。こんな事を言うのは、日本人として本当に情けないと思う。そのうち、いい本がでたら知らせてあげたいが、今のところは、残念ながらないようである。21世紀の日本を背負う君たちに心から願う。この地球で、日本列島で、祖先たちが生きてきたその歴史の延長線上に今、君たちが、生きていることを自覚して欲しい。日本を覚醒させるのはきみたちである。
 

<1月号>

日本の危機

 年頭所感。一言で言えば、「日本の危機」である。短期的には言うまでもなく、北朝鮮問題だ。日本と朝鮮半島とのつながりは遠く原始古代にさかのぼる。古代史に興味のある館長にとっては、ゆっくりと訪ねてみたい地域だが、現実はそれどころではない。もし、核を搭載したミサイルが日本に着弾すれば取り返しのつかない大惨事となる。本格的に第二次朝鮮戦争が勃発すれば、好むと好まざるとに関わらず、日本は戦闘区域に入る。一日も早く有事体制を確立しなければならない。憲法改正は勿論のこと、国防のためのあらゆる法的整備を急がなければならない。事が起こってからでは遅いのだ。先のテポドンの一発が、幕末のぺりー来航となるか。日本国民の覚醒を心から祈る思いだ。さらに、長期的にはユーロの脅威だ。 EUの経済的統合は政治的統合も促進させるだろう。問題は、こうした地域主義が域外国を排斥する危険である。いわゆる排他的経済ブロックの出現である。日本はNAFTA(北米自由貿易協定)と、EU(欧州連合)にはさまれ、円の力は国際的に衰退してゆくのではないか。今回の通貨統合に参加した11か国のGDP(国内総生産)は、日本の4兆2000億ドルを上回る6兆8000億ドルとなる。これは日本にとって無視できる数値ではない。長期的展望に立った円の国際的戦略を考えねばなるまい。21世紀の日本を担う諸君に期待する。

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