館長より、君へ。 【今月の館長の言葉 2】

1991年(平成3年)
1月号
 大変な新年になってしまった。湾岸戦争はいまや深刻な事態に突入しつつある。これから始まろうとする地上戦は、イラク側にも連合軍側も多大の人的物的消耗を強いることは、火を見るより明らかである。化学兵器さらには核兵器の使用さえも予想されるに至っては、中東戦争どころか、第3次世界大戦へと発展する可能性もある。国際連合の一員たる我が日本は何をすればよいのか。我々日本国民一人一人の国際感覚が今痛烈に問われているのだ。一方、ソビエト連邦は大崩壊の危機に瀕(ひん)している。バルト3国に対する武力弾圧は、一気に状況を最悪の事態に追い込んでしまった。今回の問題はソ連の一地域だけの問題にとどまらないであろう。ソ連邦全体の経済的破綻(はたん)は、今後連邦全体に同様の問題を引き起こすかもしれないのである。世界は無事に21世紀を迎えることができるのだろうか。ペンを銃に持ちかえなければならない日が来ないことを祈りたい。諸君にはしっかりとペンを握りしめ、その重みを感じ取ってもらいたいと思う。平成3年はいかなる年になるのだろうか。焦燥(しょうそう)と希望と―――年頭にあたっての所感である。

2月号
 スティーブン・W・ホーキングの「最新宇宙論」を読む。宇宙は有限か無限か。時間の始まりと終わりはあるのか、ないのか。日常生活からあまりにもかけ離れた話ではあるが、我々のような有機生命体を構成している物質が、どのようにしてこの宇宙で形成されてきたのかという問題は、我々自身を真に理解するためにはどうしても避けて通れない問題である。勿論結論はまだ明確な形では述べられるに至っていない。ホーキングという現代科学の最先端をいく頭脳が、その解明に向け最大限の努力を続けている。運動神経系に重大な障害を持つ重症患者でもある彼のその姿の中に館長は人間の生命の尊さを感じ、深い感銘を受けた。大宇宙に比べればあまりにも小さいこの地球、そしてその上に存在する微粒子ともいえる人間、しかしその存在の重さは、この大宇宙にも匹敵するのだ。諸君はいかに考えているのだろうか。己(おのれ)の生命を。これからの人生を。そして日々の営みを。時には宇宙に思いをはせながら、自分を見つめることも大切なことであろう。―――湾岸戦争は24日、本格的な地上戦に突入した。もし宇宙を造った神がいるとしたら、彼はこの地球上での出来事をどのように見ているのだろうか。ともかく、戦争の早期終結を祈りたい。

3月号
 最近、ドイツ語を再びやり始めた。大学卒業以来、ほとんど勉強していなかったドイツ語の本や辞書のチリを払いながら、毎日少しずつ勉強している。直接の動機は、講師の先生たちが、英語は勿論だが、ドイツ語やフランス語、さらには中国語と、外国語の話をするのを聞いていて、学生時代の語学への情熱に再び火がついたといったところだが、昨今のドイツ統一を初めとする国際情勢からも影響を受けていない訳でもない。忘れかけていた記憶をたどりながら、一つ一つ単語や文法を確認していく作業は、推理小説を味わう以上の楽しさがある。言語は文化の中枢であり、語学の素養はなんといっても国際的視野を持つためには欠かせないものである。しかし、今、それ以上に諸君に訴えたいことは、人間は一生涯勉強を忘れてはならないということだ。中学に、高校に、そして大学に進学した諸君、ゆめゆめ休むことなかれ。勉強はまだまだこれからだ。受験ごときで燃え尽きることなかれ。学問の楽しさを知りたまえ。これは一生のものだ。今年も新年度クラスがスタートした。諸君の意欲に期待したい。

4月号
 今、東京大学公開講座「異文化への理解」(東京大学出版会)を読んでいる。衛星放送をはじめとするマスコミュニケーションの技術的発達は、いまや地球をひとつの地域としてとらえ、瞬時にして複雑多岐にわたる情報が世界中を飛び交う高度情報化社会を築きつつある。しかし情報を享受する我々は、どちらかと言えば膨大な情報に振り回され、表面的な理解にとどまっていることが多いのではないだろうか。これだけ国際情報にあふれている今日でありながら、他国の文化や考え方を真に理解することの困難さを痛感するのも私だけではあるまい。「国際人」などというのは、そう簡単になれるものではないのだ。だが、あきらめてはならない。我々は日本人であると同時に地球人としての意識を持たなければならないのだ。いろいろな文化がこの地球にあることを知らなければならない。理解しようと努めなければならない。世界中の人々がお互いにこの努力をしなければ、人類の本当の幸せは実現できないであろう。―――ソ連邦大統領ゴルバチョフは今日の日本文化を目のあたりにして何を感じたであろうか。彼は日本をいかに理解しているのだろうか。そして我々は、ソ連邦の実態をどこまで把握していると言えるのだろうか。あのロシアの大地に根をおろした文化をどれほど理解しているのであろうか。領土問題、その根底には異文化への理解という人類の普遍的課題が横たわっているのだ。政治的外交的解決を期待する前に、我々はこのことを忘れてはならないだろう。北海の春の訪れは、一体いつのことであろうか。春を待つ心、これこそはあらゆる文化の違いを越えられるものに違いないのだが。

5月号
 以前「じゃが玉ドン」なる館長の好物を紹介したところ、なかなかの好評であったが、最近、ある教育雑誌に、栄養のバランスがいかに小・中学生にとって大切なものであるかが書かれてあるのを読んで、大変興味が引かれたので、紹介したい。もちろん、詳細な内容を紹介する余裕はないが、特に注目すべきと思われることは、カルシウムの不足が、骨の発達を妨げるのは当然の話としても、それだけでなく、情緒の不安定や根気不足、さらには攻撃性の増大によってイジメを誘発するということである。安易なインスタント食品ばかり食べていると、カルシウムは確実に不足するとのことである。乳製品や魚や海藻類をたくさん食べよう。人間は食べなければ生きていけない。どうせ食べるならば、賢く食べようではないか。自身の健康のためにも、社会の健全な発展のためにも。

7月号
 いよいよ夏本番である。夏期講習会も高3を第一陣として、22日から突入した。来月3日からは恒例の1000題合宿が待っている。暑さに負けずに頑張ろうではないか。夏といえば、館長は、北海道の牧場で働いたことを思い出す。学生アルバイトとして、夏の間ずっと牛や豚を相手に広大な原野の中で生活したのである。中でも重労働だったのは、炎天下に飼料にする草を刈り取り、トラックに積み上げる作業だ。これは夏の間中ほとんど毎日続いた。あれは、つらかった。柔道と登山で鍛えていた館長も、何度か熱射病の状態になり、塩水を飲みながら作業を続けた。牛がなめるのと同じ岩塩のかけらをいつもポケットに入れていたのを思い出す。しかしある日、夕方になって、はるかに続く地平線に沈んでいく大きな夕陽を見たとき、何か涙がこみ上げてくるような感動を覚えたことがあった。一日の仕事を終えた満足感であろうか。大自然の驚異であろうか。疲れきった体であったはずなのに、明日へのエネルギーが大地から足を伝わって全身にみなぎってくるのを感じたのである。あの時の太陽を館長は一生忘れることはないだろう。労働も勉強も同じである。一生懸命やればそれは必ず、明日へのエネルギーを逆に生み出してくれるのだ。この夏をいかに過ごすか。諸君の健闘を期待する。

8月号
 今月19日に起こったソ連保守党のクーデターは21日に失敗して終わり、拘束されていたゴルバチョフ大統領も職務への復帰を果たした。ソ連は言うまでもなく、第2次大戦後を象徴する冷戦構造を形成してきた一方の盟主であり、国際社会におけるその政治的影響力は極めて大きなものがある。その国が、今、揺らいでいるのだ。社会主義経済の失敗、共産党独裁の崩壊、民主主義勢力の台頭など、様々な批評がマスコミを飛び交っているが、何よりも大切なことは自由への欲求であろう。人間は機械ではない。単なる物質ではないのだ。自由に考え、自由に活動する。そしてそれを望む生き物なのだ。人間社会は数字や物を扱うような訳にはいかないのだ。マルクスやレーニンの誤算はここにあった。だが、自由民主社会に一歩近づいたとはいえ、ソ連の経済的破綻は一朝一夕に立ち直れるものではないだろう。新たな強権政治が始まる可能性があるのだ。ソ連国民の前途は多難である。平和日本の中にいる諸君、何不自由なく生活できる喜びをかみしめたまえ。そして現状に甘えることなく自らを鍛えたまえ。ロシア国民の試練がいつかは日本を襲うかもしれないのだ。この夏、諸君は自らをどれだけ鍛えたであろうか。自問されたい。(8月24日記す)

9月号
 先日、本年4月に出された第14期中央教育審議会答申を読む機会があった。今後の教育の動向を考察する上でも重要な資料であった。要点の紹介と若干の私見を述べてみたい。
 今回の答申は、まずはじめに明治以来の近代国家建設の歴史的背景を説明し、産業国家への発展のために国家主導型画一教育の果たした意義を一面においては認めつつも、一方では昨今の教育現場における諸問題を惹起せしめている原因としてその画一教育を批判している。学歴や集団を重視する教育から「個」を尊重する教育へ、これが本答申の基盤的思想である。
 改革案の第1は、高校の単線教育から複線化教育への路線変更である。具体的には4年制高等学校や高等専門学校の分野拡大等をあげている。また第2に、受験競争の緩和策として、大学入試改革を提言している。点数絶対主義にとらわれない多元的評価方法の開発等がそれである。特に一部有力大学における特定高校出身者の寡占を是正せよとの提案は、いわゆる有名私立高校側からの反論が予想されるものとして注目されてよい。第3には、生涯学習社会の実施に向けて学校の役割や具体的施策が示されている。さらに、今回の答申では、塾や予備校等を教育の関係者として認め、学校と並んで列挙しながら、その協力をお願いしている点が興味深い。
 さて、私見だが、背景説明における国家主導型教育の歴史的意義については、今日における国際的教育水準の高さを考えても一面として認めるにやぶさかではない。いや、むしろ自由主義に基づく近代市民社会の発展途上段階においては、各市民のある一定の教育水準の確保は必要不可欠な前提条件と言ってもよい。1つの歴史的市民社会の成熟度に応じて、国家主導型教育の導入が高く評価される場合もありうると考えられるのである。
 この点に関しては、昨今、注目すべき情報がある。1983年、アメリカ合衆国は「危機に立つ国家」と題して国民的教育水準の向上を目指し、敢えて連邦政府からの勧告を行っている。1988年にはイギリス議会が「教育改革法」を可決し、国家主導型教育の導入を断行した。「個」から「集団」へという先進西欧諸国の流れに対して「集団」から「個」へと逆の方向性を示している日本の改革の流れは、比較教育史の上からも考察の対象とされてよいだろう。
「個」と「集団」のバランスのとれた指導が理想なのであろうが、教育現場における実情は前途多難なものがある。答申に言う「個」重視の教育は基本的に賛成ではあるが、実施する能力が今の公立校にあるのか、いささか疑問である。
 次に、高校の複線化路線であるが、基本的にはそれはそれとして反論する点はないとしても、中学卒業者の進路として高等学校以外の教育の場を考えられないだろうか。私としては民間教育機関の活用を提案したい。我田引水と言われそうではあるが。
 また、受験戦争の緩和に対しては、まず第1に、競争社会の存在意義を容認したい。その上でさらに受験における競争それ自体も基本的に肯定する私の立場を明らかにしておきたい。問題は頂点たる大学入試にある。そのためには大学自体を改革しなければならない。偏差値的比較から各校の個性を重視した質的比較が成り立つような大学群像の存在を期待したいのである。これには、国公立大学の全廃による民営化しかないだろう。受験生の個性と大学自体の個性を発揮させるためには、よほどの柔軟な思考がなければならない。柔軟な発想は自由な精神状態から生まれる。自由な精神は自由な制度の下に開花する。「民営化」、結論はこれである。
 生涯教育は本来は塾の分野かもしれない。幼児から老後まで、教育は一生のものである。この見解に間違いはない。しかし、国家主導型による推進はどうかと思う。これも学校と同様に民営化すべきだ。当然、日本経済の奥深さが試されるかもしれない。需要と供給の関係によって、民間の社会的経済的活力が教育にどれだけ向けられるか。それこそ国民の真の教育水準が問われよう。
 ここで、このような教育の全面的自由化という考え方に対して国家教育の視点から危惧の念が寄せられるかもしれない。無論、一方へ片寄りすぎることが問題なのは承知している。要はバランスである。全面的自由化に対して、何らかの対抗的手段としての教育関係立法などの対策が考えられよう。それはそれで国民的議論を尽くせばよいのである。ただ歴史的奔流として教育の自由化は否定できない動向と思われるのだ。諸君はどう思うだろうか。意見を聞きたいものである。

10月号
 学校週休2日制が塾業界で話題になっている。ある大手塾では土・日連日猛特訓20時間コースを企画しているらしい。またある塾からは、土・日コースを増設する代わりに月曜日を休講日とする案も出されている。しかし、実際はどうなのだろうか。土曜日は朝から部活動に使われ、午前中、場合によっては夕方まで学校に拘束され、生徒たちの生活はそれほど変わらないのではないか。部活動のやりすぎも困ったものだが、やれ部活だ、やれ勉強だと、生徒を管理し過ぎることに問題があるように思う。もっと自由な時間を与えるべきではないだろうか。北辰館としては土曜日の午前中は柔道にあて、午後は早めに授業を始めて、夕方には終了させる方法を検討している。読書もしてほしい。音楽も聴いてほしい。好きなことを思い切りやってほしいからだ。勉強は集中力の勝負だ。ことさら減らす必要はないが、週休2日制になったからといって塾の時間を増やす必要もなかろう。大手塾のように営利に走ってばかりでは、本当の教育はできない。次代を背負う子供たちのために何が必要なのか。そろそろ塾も社会的に自立すべき時が来ている。民間の教育機関として恥ずかしくない教育理念を持つべきだろう。のびのびとした、活力ある青年を育てるのが館長の願いだ。誤解してはならない。勉強をサボってもよいと言っている訳ではない。日頃の予習・復習や宿題をきちんとやりこなせないような人間は話にならない。やるべきことはやらなければならない。その上での話である。人間は鍛えられなければいけないときには鍛えられなければいけない。これからも館長の厳しい授業は続くのだ。覚悟せよ。

11月号
 今年も進学相談の季節になった。学歴社会がまだ根強い日本では、学校の選択はある程度は一生の選択にもつながる。本人は勿論、館長も真剣である。それにしても単願や併願等の推薦者が定員の70%を超える実情は異常ではないのか。とてもまともな入試が行われているとはいえまい。何とかならぬものか。推薦は本来、定員の1%未満でよい。しかも平均合格者の成績をはるかに上回る力があってこその推薦であるべきだ。現状は全くの逆である。どこか間違っていないか。諸君はどう思っているのだろうか。意見を待っている。

12月号
 湾岸戦争で始まり、ソ連邦の崩壊と言う歴史的な大事件で終わろうとしている1991年。まさに激動の年と言うにふさわしい一年であった。旧東側のコメコン(経済相互援助会議)というワルシャワ条約機構の解体、それを受けての西側の「欧州同盟」への発展とNATO(北大西洋条約機構)の新戦略採択といった一連の動きは、これからの世界をどこへ導くのであろうか。東西対立の解消は新たに民族独立紛争を惹起せしめた。旧ソ連邦の経済的破綻はもはやどうにもならないものになっている。何かもっと大きな地球的な大崩壊が起こるのではないか。そんな気がしてならない。
 ここまで書いてきたとき、テレビはグルジア共和国の内戦の模様を報じた。来年はどんな年になるのか。予断を許さない状況である。諸君は来年に何を期待しているのだろうか。学べるときに大いに学んでくれたまえ。館長のこれは諸君に対する希望であり、祈りである。北辰館も一層の充実を図りたい。よい年を迎えられんことを。

1992年(平成4年)
1月号
 新しい年が始まった。今年は改革の年である。学校5日制導入はいかなる影響を教育界に与えるであろうか。塾にとってはその社会的地位向上を目指して飛躍するチャンスの年でもあろう。勿論、一方では社会的責任もより一層自覚せねばなるまい。「必要悪」から「必要善」への脱皮である。「少数精鋭の文武両道塾」という館長の志を本格的に実現するための新たな第一歩を踏み出す年としたいものである。諸君もその目標達成に向かって頑張ってもらいたい。

2月号
 忙中に閑有り。先日、銀座セゾン劇場に「子午線の祀り」を観に行った。読売文学賞戯曲賞を受けた木下順二の群読劇である。平家物語を題材にした現代風古典叙事詩劇とでも言おうか。朗読や群読を多用した独特の雰囲気は、古代ギリシア以来の演劇の原点を感じさせるものがあった。劇中、特に感銘深かった台詞の一説を紹介する。味読されたい。

知盛  あの星から眺めれば、いつか必ずそうなるはずの運命の中へ、ひと足ひと足進み入っていくわれら人間の姿が、豆粒ほどの人形の動きのようにも見て取れるのかも知れぬ。星々にもし情(こころ)あらば、それを哀れと思うか、健気と思うか―――
影身  星々に情(こころ)なぞございますまい。
知盛  なに?
 ―――(略)―――
影身  大自然の動きは非情でございます。
知盛  人の世の営みとはかかわりもないことといいたいのか!
影身  非情なものに新中納言さま、どうぞしかと眼をお据え下さいませ。非情にめぐって行く天ゆえにこそわたくしどもたまゆらの人間たち、きらめく星を見つめて思いを深めることも、みずから慰め、力づけ、生きる命の重さを知ることもできるのではございませんか。

―――第三幕第二場より――― 

 平家物語の底流を形成していると言われる諸行無常の仏教思想。そこには滅びゆく平家の悲劇と栄枯盛衰の無常観が横たわっている。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。平家物語をして平家物語たらしめているものは。小林秀雄は平家物語の真骨頂をその叙事詩性にありと喝破したが、これは至言といってよいだろう。平家物語の真髄は決して俗にいう無常観などではあるまい。その眼は対象を非情に見つめる、あの大宇宙の星々の眼であり、その対象こそは生きる命の重さを知った人間の必死の営みであろう。その生き生きとした姿にこそ我々は感動するのではないか。喜びも悲しみも祈りも怒りも、そして希望も、すべてはより深く生きようとする人間のものであってこそ輝くのではないか。「諦観」の第一義は本質を極めることであって、決してあきらめではない。無常の悟りとはあきらめることではない。非情なものをしかと見据えた上で精一杯の努力を続けることこそ真の悟りであろう。運命とは自ら切り開くものである。壇ノ浦の波間に諸君は何を感得したであろうか。

3月号
 白銀の世界。スキー場は人間を夢の世界に誘い込む魔力があるのかもしれない。確かに館長もスキーすることに夢中であった。しかし現実生活に戻ったときの落差は大きい。(勿論それ故にこそレジャーとしてのスキーが盛んなのだろうが。)たまっていた新聞を読みながら、暗たんとした気持ちを禁じえなかった。日本経済の下降低迷予測、そして旧ソ連領からの核頭脳流出、中近東問題、民族独立紛争の激化、環境破壊、増加する難民、テロ、麻薬、エイズ…。しかも、冷戦が終わったとはいえ核戦争の危険は決して去ってはいない。21世紀はばら色ではない。しかし、諸君にはどうか、この世界を引き継いでもらいたい。温室日本の時代は終わったのだ。世界の荒波に真正面から取り組んでもらいたいのだ。今年も新年度がスタートした。お互いに頑張ろう。

4月号
 ソ連邦崩壊後の世界はいまだに混沌としている。無理もない。旧東側陣営の巨大な支柱が消滅したのだ。旧ソ連軍郡の前に抑圧されてきた各民族の歴史的エネルギーが一気に噴出したといってよいだろう。アフガンしかり、ユーゴスラビアしかりである。民族的対立や宗教的紛争は根が深い。解決には気が遠くなるほどの時間がかかるかもしれない。しかし、難民の増加はもはや許容の範囲を越えていると言われている。早急に何とかしなくてはならない。勿論、島国にしてほぼ単一民族といってよい日本で、大陸における民族紛争を理解するのは至難であろう。軽々しい批判は慎まねばなるまい。だがこうしている間にも、どこかで砲声が鳴り響き、多くの子供たちが銃火の犠牲になっているのだ。何ともやりきれないニュースばかりだが、先日、ふと北辰館の通りに面した花壇を見て、思わず立ち止まった。諸君は気がついていただろうか。満開のつつじである。ひたむきな生命の息吹とでもいえばよいのか。それは確かに私を感動させた。雨が降ろうと風が吹こうと、己の命を精一杯開花させようとする姿だ。大地の持つ無限のエネルギーを感じた。そうだ、悲観ばかりするのはやめよう。前進するのだ。人類の英知のエネルギーを信じよう。つつじの花に乾杯!

5月号
 先日、東京麻布のアメリカンクラブで開成高校3年時代の同窓会があった。ともかく懐かしく、2時間があっという間だった。体系も変わり、髪型も変わり、職業も様々ではあるが、学生時代の友というものは本当に不思議なものだ。時の流れを越えて、いつの間にか昔の学生服時代に戻ってしまう。恩師の先生方もお年を召されてはいるが、我々をよく覚えていてくださって1人1人に声をかけてくださった。商社、銀行、保険会社、医者、弁護士、博士、検察官、外交官、政治家、研究員、公務員、大学教授、作家、記者・・・いろいろな顔があって、これは一種の社会の縮図だなと感じた。皆、己の仕事に自信と誇りを持って生き生きとしていた。館長も胸を張って北辰館スクールを自己紹介した。諸君は10年後、20年後にどんな顔をしているだろうか。どうか生き生きと輝いていてほしい。そしてそのためにこそ今日の努力が必要なのだ。明日に向かって頑張ろう。

6月号
 先日、教え子の伊藤 賢(まさる)君が、久しぶりに北辰館に遊びに来てくれた。遊びといっても、柔道の稽古を手伝いに来たのだ。彼は現在、新宿警察に勤めているバリバリの警察官である。小f学生から中学生にかけて、5〜6年間、北辰館で学んだ諸君の先輩であり、当時柔道の門下生が少なかった時に、卒業するまで館長の厳しい稽古についてきてくれた貴重な生徒でもある。もう立派な社会人だが、こうして訪ねてきてくれると、実にうれしい。自分の教え子が立派に社会で活躍している姿を見るとき、この道に入って本当によかったとしみじみ思う。諸君も将来、是非、北辰館を訪ねてほしい。なんといっても北辰館を支えているのは諸君なのだ。君たちの未来に期待する。

7月号
 先日、講師の飯野岳夫君と夏合宿の下見のため尾瀬に入った。テントを背負っての強行スケジュールであった。20キロ以上もあるリュックサックをかついで登るのは久しぶりだったので、かなりきつかったが、目の前を30キロを背負って歩いている飯野君を見ると文句は言えない。噴出す汗をぬぐいながらの行軍だったが、尾瀬のすばらしい自然は、見事にその疲れを吹き飛ばしてくれた。そして何よりも感激したのは、キャンプ場近くの水のみ場で飲んだ水のうまいこと!冷たかったこと!最高であった。夜、満天の星空の下、バーボンウィスキ−のグラスを飯野君と傾けながら、山のこと、自然保護のことなど語り合ったが、お互いに尾瀬の自然を守ることがどんなに難しいか、そしてどんなに大切なことか、本当にわかったような気がした。残飯のかけらも残さず、すべてをビニール袋に入れて持ち帰ってきたことは言うまでもない。この夏の合宿が子供たちに貴重な体験となることを願っている。

8月号
 柔道は、日本の武道から世界のスポーツへと、大きく発展してきた。特に、オリンピックの正式種目になってからは、各国とも、選手層が年々厚くなっている。技術レベルも向上し、もはや日本のお家芸だとは言えなくなった。その意味では、今回のバルセロナにおいて金メダルの数が今ひとつ少なかったことも、むしろ当然のことなのかもしれない。しかし、である。日本側にも反省点がなかっただろうか。よく指摘される点に、外国選手に対して筋力パワーの不足があげられるが、これも対応を誤ると大事なことを見落としてしまいかねない。確かに筋力はないよりあった方がよいだろう。ただそのトレーニングを重視するあまり、大事な技の練習がおろそかになっていないだろうか。この点が非常に気にかかる。日本選手団は合同合宿が多いが、個人々々に適したトレーニング方法をどれだけ取り入れているのだろうか。東京オリンピックの金メダリストのへーシングは、何ヶ月も一人で山中にこもり、大木を切り倒しては運び出すという作業を黙々と行っていたという。何事も栄冠への道のりは孤独でつらいものである。合格への道のりも同じだ。受験生にとってはつらい夏だろう。しかし、何とか乗り切って秋へつなげたい。各人の一層の努力を期待する。

9月号
 今、欧州で何が起きているか。諸君はどこまで知っているだろうか。欧州の政治的経済的統合を目指し、歴史は大きく動いている。勿論、各国の利害が複雑にからみあっている現状を考えると、前途多難の感が深い。東西ドイツの統一、ソ連邦崩壊という激動の世紀末は、一体どこへ行こうとしているのだろうか。もし統一欧州が出現すれば、世界のパワーバランスは大きく変化し、日米の経済摩擦などどこかへ吹き飛んでしまうような深刻な影響を投げかけてくるかもしれない。日本経済の将来はまさに不確実性の時代を迎えようとしている。諸君が社会の第一線に立つとき、いかなる荒波が押し寄せてくるのだろうか。いや、恐れてはならぬ。今のうちに、しっかり勉強しておくことだ。学問の力こそ諸君にとって最大の味方となることであろう。時、まさに勉学の秋である。

10月号
 先日、鹿児島出身のある塾長から薩摩示現流の話を聞かされた。今日でも道場が存続しているとのことである。機会があれば、館長としては是非稽古してみたい古流剣術である。示現流の祖 東郷重位(しげたか)は、朝に三千回、夕に八千回も立木打ちを行ったと言われている。想像を絶するような苦行である。館長も週に2〜3回は木刀の素振りを千回程度行っているが、とても及ぶ所ではない。やはり達人といわれる人は修行も並ではないことがよくわかる。皆と同じでは抜きん出ることはできないのだ。勉強も然りであろう。諸君の奮起に期待する。

11月号
 楼蘭(ローラン)という国名が初めて文献に現れるのは紀元前176年のことである。発掘されたミイラは約3800年前のものだとすると、はるか紀元前2000年以上も前からこの地で生活していた人々がいたことになる。幾多の民族の興亡と戦乱を経験し、6世紀には地上から消滅してしまった幻の王国、楼蘭。タクラマカン砂漠の東端に位置する遺跡は、今では荒涼たる砂漠の中にあるが、国王の繁栄していた当時は、緑豊かなオアシス地帯であったという。さまよえる湖として有名なロプ・ノールが東方に広がり、東西交易路の重要拠点として栄えていたといわれているこの王国が、しかし、なぜ滅びたのであろうか。ある学者は、人口増加に伴う無計画な農業活動による土地の荒廃化が大きな原因ではないかと推論している。もしこの推論が正しいとすれば、つまりは無軌道な産業発展による環境破壊ということになる。21世紀を迎えよとしている今、地球はまさに楼蘭の過ちを再び繰り返そうとしているのではないだろうか。今こそ我々は「かけがえのない地球」という新たな思想を持つべきであろう。楼蘭の遺跡に諸君たちは何を感じたであろうか。歴史への敬虔さを望みたい。

12月号 
 今年もあわただしく暮れようとしている。この時期は、面談と講習・合宿の準備、そして新年度のスケジュール調整など、多忙を極める。新聞はかろうじてざっと目は通せるものの、テレビにいたっては週に30分も見ればいい方である。それにしても明るいニュースはないものか。悲惨としか言いようのないソマリア飢餓、その救済のために上陸した多国籍軍の前途もいまだ楽観を許されない。国連暫定統治機構下のカンボジアも同様である。一方、旧ユーゴスラビアの政治的解決は一体いつのことであろうか。そして地球の環境破壊は一日一日と拡大している。先日、通産省に勤める知人がEC本部のあるベルギーのブリュッセルに日本代表の一員として赴任する話を聞かされた。欧州も先が読めぬという。来年こそは明るいニュースがほしいものである。よい年を迎えられんことを。

1993年(平成5年)
1月号
 1月20日、日本時間21日未明、ビル・クリントンは42代米国大統領に就任した。彼は国民に変化を求めた。アメリカの再生である。貿易、環境、人種偏見、民族紛争、そして冷戦後の新たな軍拡競争等、内に外に山積する諸問題にどう対応していくのか。経済的危機を抱えているとはいえ、アメリカの国際的影響力はいまだに絶大なものがある。彼が何を考え、何を目指しているのか。我々は関心を持たざるをえない。ケネディとの握手がクリントンの人生に大きな影響を与えたと言われている。これもひとつのアメリカンドリームであろう。夢を持つこと、目標を持つことは大事だ。諸君は年頭にあたりどんな目標を持ったであろうか。その実現に向けて、着実な第一歩を踏み出すことを期待したい。今年も頑張ろう。

2月号
 先日、北辰館スクールの講師の先生たちの就職祝いの壮行会があった。勤務先も様々で、ほとんどの者が遠く地方に行くことになりそうである。小・中学時代からの教え子も多いため、館長にとっては感慨もひとしおのものがある。どうか新たな希望と目標を持って、思う存分社会にぶつかっていってほしい。若者の特権は、まさにその若さにある。若い情熱こそがこの世の中を動かしていく原動力なのだ。君らに乾杯!

3月号
 今、小学5年生と6年生の平常クラスの国語で、宮沢賢治の童話を朗読している。わずか5分か10分の短い時間だが、少しでも本に親しむ気持ちをそだてたいという館長の祈りのような思いからである。テレビにラジオ、そしてパソコンゲームと、余りにも活字離れの進んでいる子供文化の中で、読書の面白さ、楽しさ、すばらしさを教えるのは至難のわざだが、読書の学力向上に与える効果の大きさを考えると、何か努力しない訳にはいかないのだ。それになんといっても、人間の成長過程において読書ほど大きな影響を与えるものはない。人格の大半は、読書量によって決まると言ってもいい。諸君、本を読みたまえ。読書は学生生活の基本である。
  
4月号
 先日、渋沢栄一著『論語講義』を読んだ。渋沢栄一については、今の若い人たちには余り馴染みがないかもしれないが、近代日本の生みの親とも言うべき大人物である。日本最初の近代的銀行である第一国立銀行(第一勧業銀行の前身)を創設し、その頭取として40数年この職にとどまったが、他にも、抄紙会社(後の王子製紙)、東京海上保険、日本鉄道会社、共同運輸(後の日本郵船)、大阪紡績(後の東洋紡)、東京ガス、帝国ホテル、札幌ビール、石川島造船所などの株式会社を次々に設立させた。また、1878年には東京商法会議所(後の東京商工会議所)を創り、長くその会頭を務め、実業界の質の向上と発展に努めた。1916年、実業界から引退したあとも、病院、教育などの社会・公共事業に専念し、その活動はとどまるところを知らなかった。この渋沢の行動基準となったのが『論語』である。『論語』の思想を簡単に言えば、人への思いやりと世のために役立つような人生の追及と言えるだろう。しかも、その道を心から楽しむことこそ、理想の人生と言えよう。渋沢はこれを座右の銘としてできる限りの実践をしてきた人物である。そのエネルギーの源は、こうした生き方の信念にあった。諸君は、どうだろうか。人生の目標を考えているだろうか。勿論、あせることはない。今はじっくりと自分の信念を形成していく過程だからだ。第2、第3の渋沢が北辰館から生まれる日を楽しみにしている。

5月号
 NHKテレビの歴史番組を見た。江戸を無血開城に導いた幕臣、勝 海舟を取り上げたものである。一般的には、勝 海舟と西郷隆盛という両雄の肝胆相照らした話し合いの結果と見られがちだが、事実はそう単純ではなかったようだ。江戸焼土作戦や、船による江戸市民の房総への救出作戦等、勝の用意周到さには舌を巻くが、万全を期し全力を尽くしたからこそ、西郷との会談にも沈着冷静に臨めたのだろう。入試も同じだ。日々全力を尽くしてきた者だけが合格の栄冠を手にするのだ。諸君に期待している。

6月号
 3月14日(日)の毎日新聞に続いて、今度は6月15日(土)に読売新聞に我が北辰館スクールが取り上げられた。と言っても今回のは「放課後』と題したコーナーで、塾のスナップ写真とわずかなコメントが載っただけだったが、反響は意外に前回よりも大きかった。関東各地の知り合いの塾から電話やFAXをもらったが、話題はやはり「文武両道」に集中した。今は希望者のみの柔道だが、将来は全員が柔道か剣道を稽古するような塾にしたいと思っている。この館長の夢の実現はいつのことか。とにかく頑張るしかない。今年も暑い夏になりそうだ。

7月号
 先日、江上波夫の講演を聞きに行った。江上波夫は日本の考古学者の最高峰といってよい。現在も、87歳の高齢でありながら、古代オリエント博物館館長、日本オリエント学会会長、東京大学名誉教授として活躍中であり、1991年には文化勲章を受章している。江上教授といえば、知る人ぞ知る「騎馬民族征服王朝説」の提唱者として有名である。大陸の騎馬民族が日本を征服して大和朝廷を成立させたとする学説だが、館長も高校生のころ、江上教授の「騎馬民族国家」を読んで大きな衝撃を受け、歴史に対する興味が本格化したのを覚えている。歴史を学ぶことは現代を学ぶことにつながり、さらにそこから未来への展望を開くことができる。諸君は大きな歴史の流れの中に存在していることを感じているだろうか。諸君一人一人が歴史を作っていくのだということを本当に理解しているだろうか。現代の若者に必要なのはまさにこの「歴史的視野」なのではないだろうか。歴史を楽しく学んでほしい。館長の願いである。

8月号
 「忙中閑あり」―――先日、講習会、合宿、そしてまた講習会と続く中、家族と外房の一宮に遊んだ。ここには若き芥川龍之介が滞在した旅館が今も残っている。後に結婚することになる女性への熱き想いを恋文にしたためた、そのペンを執ったという離れが今も芥川荘として保存されており、しばし芥川の文学世界に浸ることができた。芥川の肖像画を眺めていると、つい彼と対談しているような気持ちになったが、妻と娘が呼ぶ声にハッと我に返り、現実に引き戻された。松林を過ぎる海風が心地よかった。そうだ、久しぶりに芥川全集でも読み直してみようか。―――諸君は今年の夏は、どんな本を読んだであろうか。何か一冊は読んでほしい。必ずや諸君の心の糧(かて)となるだろうから。

9月号
 先日、飛行機で沖縄に飛んだ。沖縄の塾の先生方のセミナーに講師の一人として参加したのである。空港から車で島の南部、沖縄戦跡国定公園に行った。ひめゆりの塔と健児の塔で献花し、戦争で尊い命を失った彼らの御霊(みたま)に祈りをささげてきた。ひめゆり平和祈念資料館で筆舌に尽くし難い悲惨な戦争の実態に接し、平和のすばらしさをつくづく感じた次第であった。沖縄の空と海はどこまでも青く、すばらしい景色だっただけに、一層彼女たちの悲劇が胸を打った。―――合掌。

10月号
 10月23日付、読売新聞の「生涯現役」のコーナーに、83歳にして今なお稽古を続けている剣道範士九段、中倉 清先生のことが書かれてあった。ただただ敬服せざるを得ないが、中倉先生は「若いころから基本の打突練習を徹底的に繰り返したせいでしょう」と言われている。戦前において出場した剣道大会で連戦連勝の実績を持つ人の言葉だけに重みがある。剣道も柔道も学問も、すべては基本が大切なのだ。中倉先生の言葉を諸君もよくかみしめて頑張ってもらいたい。

11月号
 11月3日に北辰館が加盟している学習塾全国連合協議会の第19回全国研修大会が千葉市で開かれた。全国各地から支部代表の塾長たちが140名ほど集まり、大盛況であった。テーマは「大変革の時代――新しい民間教育理念の確立――」である。文部省による一連の教育改革に対して塾はどのように対応していったらよいのかといった問題について、基調講演、パネルディスカッション、意見発表といった形で研修が行われた。実行委員長は私、沼田館長であった。この1年間、このイベントのためにずいぶんと神経を使ったが、塾業界にとっても有意義な研修であったと自負している。懇親会の場で沖縄支部代表の5名の塾長と友達になった。館長の発案でその場で「くろしおの会」が発足した。来年は、沖縄の塾生と北辰館の塾生との交流があるかもしれない。楽しみなことである。

12月号
 クリントン大統領の就任から始まり、ロシアの政争、欧州連合条約の発効と、今年も世界は激動の一年だった。国内においても、政権が交代し、米市場の開放という歴史的な展開を示した。一方、偏差値による進路指導の廃止、業者テストの追放という文部省の教育改革は、塾業界にも大きな影響を与えている。不況が寒さと共に一段と厳しくなろうとしている昨今、明るい話題は少ないが、こんな時こそ勇猛心を発揮し、明日への希望を持って元気一杯に頑張ろうではないか。館長も寺子屋塾の原点に戻り、塾生と共に全力を尽くす覚悟である。―――よい年を迎えられんことを。

1994年(平成6年)

1月号
「一年の計は元旦にあり」―――諸君の今年一年にかける抱負は何だろうか。すでにもう1ヶ月近く過ぎようとしている。時の流れは何かをなそうとするときは余りにも速い。情け容赦なく過ぎて行く。館長の今年の目標は次のようなものである。@30分早めに起床すること。A必ず1日に30分以上の読書時間を取ること。B75kgから68kgまで減量すること。どんな身近で小さなことでもよい。何か目標を立てて努力してみよう。充実した年になることは確かだ。今年もお互いに頑張ろう。

2月号
 この北辰タイムズの原稿を書いていて気がついたのだが、このタイムズも今月で100号となった。記念号としていつもとは違った工夫をこらしたいとは思うが、入試真っ最中とてその暇はない。願わくはこの機会に今までの館長の言葉を本にまとめてみたいものだが、いつのことになるやら…。実際、今はそれどころではない。新年度教材の予習が山積みだ。中3の最後の追い込みもある。どうか皆、合格してほしい。志望校に入学してほしい。春はもうすぐだ。

3月号
 ――君は映画「シンドラーのリスト」を見たか――
 先日、スティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」を見た。言葉を失うほどの衝撃と、歴史的真実の重さに、しばらく席を立つことができなかった。ナチスに迫害を受けたユダヤ人たちと、彼らを少しでも救おうと努力したドイツ人の物語だが、もちろん、実話である。人間が人間をここまで残酷に扱えるのか。強制収容所におけるいくつかの場面では、それまでに書物で一通りの知識を持っていたとはいえ、戦慄を禁じえなかった。人権蹂躙と民族的対立は、過去の問題ではない。旧ユーゴを見よ、アフガニスタンを見よ。この作品はまさに今日的問題への警告である。諸君も是非見てほしい。

4月号
 先日、文部省重点領域研究「文明と環境」第15回公開シンポジウム「文明の興亡に学ぶ」に参加した。過去数千年にわたる文明の興亡にいかに環境が深く関わっていたかを知らされ、今日の自然破壊や公害の現状を考えると、慄然とするものがあった。人類の現代文明は、全地球的規模をもって環境を破壊し続けている。このままいけば、21世紀末には高度の科学技術をもってしても修復不可能なほどに破壊されてしまうのではないだろうか。それは、一つの文明の崩壊というよりも、人類そのものの滅亡につながるのではないだろうか。サラエボの戦闘も、カンボジアの内紛も、中東問題も、それどころではないはずだ。世界の指導者たちは何をやっているのだろうか。21世紀を背負う諸君に期待する。

5月号
 先日、会議で東京に出た折、御茶ノ水の地図専門店に立ち寄った。大学時代、よく登山用の地図を買いに来た所である。今回は25000分の1の地図を2枚手に入れた。それは兵庫県神戸市北区の淡河(おうご)町の地図である。ほとんどが山と原野だが、何故このような場所の地図を買ったかというと、勿論、館長にとっては楽しい、わくわくするような理由がある。最近、ある古代史の本で、百済の聖明王の王子とその側近たちが6世紀半ばに日本に亡命し、この地に仏教文化をもたらし、しかも彼らが、奈良時代の修験道の開祖といわれている役小角(エンノオヅヌ)の遠い、血のつながりというのではなく、文化的な意味での祖先かもしれないということを知ったからである。館長は、昔から恐るべき神通力を持っていたといわれるこの得体の知れない謎の人物、役小角に興味を持っている。彼に少しでも関係することなら、つい夢中になってしまうのだ。地図を見ながら古代世界を想像し、歴史のロマンにひたる。忙中の閑。館長のささやかなぜいたくである。いつの日か、この地を実際に訪れてみたいものだが。―――本を読みたまえ。歴史を読みたまえ。知的な楽しみこそは、人生を何倍も楽しくさせてくれるものである。

6月号
 先日、高校の漢文の授業の中で久しぶりに「論語」を教える機会があった。孔子の教えは二千数百年の時の流れを越えて、胸に迫るものがある。子曰く、「学びて時に之を習ふ、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋あり遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(いきどお)らず、亦君子ならずや」と。(学問を学んで時に復習する。これは何とうれしいことか。同学の友人が遠方から訪ねてくる。これは何と楽しいことか。世人が自分の真価を認めてくれなくても不平に思わない。これこそ君子ではなかろうか。)この「人知らずして慍らず」とは何と難しい教えか。世人に自分の真価を認めてほしいと願うのは常人なら当然のこと。認めてくれなければ不満に思うのは当たり前であろう。しかし、孔子は、決してそうおもってはならぬ。不平を言うな。黙々と更に学問に励めというのだ。難しいことだが、この境地に達しなければいけないのだ。何と遠い道のりであろうか。館長も襟を正して頑張りたいと思う。この機会に諸君も「論語」を読んでみたらどうだろうか。必ずや人生の指針を得ることであろう。感想を聞きたいものである。

7月号
 塩野七生(しおのななみ)著「ハンニバル戦記」を読んだ。カルタゴ滅亡に至るポエニ戦争を扱った歴史物語だ。ローマが始めて経験した国家の危機に対して、いかに苦しみ、いかに戦い、いかに勝利したか。学校の歴史の教科書では味わえない、歴史の面白さを存分に楽しむことができた。結果を知るというよりは、プロセス(経過・過程)を楽しむところに本当の歴史の醍醐味(だいごみ)があるのだ。何とか現代の若者たちにこの楽しさを知ってほしいのだが。この夏、何か1冊、歴史物を読んでほしい。館長の今年の夏の読書計画は、
     「環境と文明――環境経済論への道――」(湯浅赳男)
     「経済学の歴史」(J.K.ガルブレイス)
     「大国の興亡(上・下)」(ポール・ケネディ)
     「戦争と平和」(アルビン・トフラー)
     「サッチャー回顧録(上・下)」(マーガレット・サッチャー)
の計7冊である。頑張るぞ!

8月号
 今回は、前回に述べた館長の読書計画の中間報告である。当初の予定では全7冊であったが、途中で塩野七生著「ローマ人の物語V―勝者の混迷―」を付け加えたため、全8冊となった。この1ヶ月間で読破したのは、「環境と文明」「経済学の歴史」「ローマ人の物語V」「大国の興亡(上・下)」の4冊である。いずれも人間の歴史を扱ったものであり、興趣満点尽きる所がない。残りの4冊を9月までに読むのは難しいかもしれないが、9月中には何とかなると思う。特訓合宿における諸君の健闘に負けないよう館長も頑張りたい。

9月号
 先日、塾連盟の研修会で、先ごろ行われた文部省の塾調査に関する検討が行われた。全国平均で、小4 23.6%、小5 31.1%、小6 41.7%、中1 52.5%、中2 59.1%、中3 67.1%の通塾率だそうである。勿論、地域によってはもっと高い率を示しているのだろうが、20年前の調査と比較すると2〜3倍に着実に増加している。民間教育が全国的に浸透しつつあるということだろう。公教育に対する不信感や不満が背景にあることは勿論だが、一方で、国家が教育のすべてを統制することに反発する民主的思想が普及していることの証左とも受け止めることができる。教育の自由は民主社会のバロメーターでもある。「必要悪」的な存在から「必要善」的な存在へと塾は間違いなく前進しつつある。我々も心を引き締めてその責任を自覚し、より良質の教育を提供できるよう努力しなければならないと思う。学校と塾とが本当の協力関係を築き上げることが、我々塾人の願いである。

10月号
 毎月第3水曜日の夜10時半から、北辰館スクールのOB会が開かれている。今月は、今年大学を卒業した社会人1年生と就職が内定している大学4年生が5,6人遊びに来た。懐かしい話にひとしきり花が咲いたが、高校と大学の両方を推薦で入った一人がこんなことを言った。「推薦で入れたのは良かったが、いまひとつ自信が持てない。本試験を受けて合格するという勝負を経験していないのは、今になって思えば、自分にとってマイナスだったのではないか。やはり、受かっても受からなくても、自分の力を思いっきり試すことは大切だ。」
 館長は素直に同感できるのだが、公立も私立も推薦枠が拡大しつつある現状を考えると複雑な心境である。確かに推薦制度は競争意欲をなくし、自由競争から生まれる活力を奪い去る側面がある。かといって、推薦に頼るしかない生徒が多いことも現実だ。要は制度に頼らず実力では入れるだけの力をつけることだろう。受験を人生のバネにするようなたくましさを諸君に期待する。

11月号
 10月21日の衆議院文教委員会において、与謝野国務大臣は塾いついて概要次のように発言した。「多数の児童生徒が塾に通っている事実を謙虚に受け止めていかなければならない。」塾の問題は学校の問題でもある。公教育と民間教育とが健全な形で協力し合うことが今一番求められていることではないだろうか。我々塾側も、決して驕(おご)ることなく、21世紀を背負う子供たちのために何ができるのか、何をすればよいのか、改めて真剣に考えなければなるまい。塾人の社会的責任はますます重くなっていくことだろう。館長も襟を正して頑張りたい。

12月号
 ここに1冊の本がある。ドイツの作家エーリヒ・ケストナー作「飛ぶ教室」である。出版は1933年、つまりヒトラー政権誕生の年だ。ナチスは自由主義弾圧のために、自由主義者の書いた書物を公衆の面前で次々と焼却した。ケストナーの作品も当然この対象となった。しかし、何冊かの本だけは禁止も焼却もされず、ナチス時代にもドイツの子供たちに読まれた。この本はその中の有名な一冊である。さすがのナチスもこの本を禁止することにためらいを感じたのだ。そしてとうとう禁止できなかった。一体、どんな力がこの本にあったのだろうか。この作品は寄宿舎生活を送る中学・高校生の物語だが、そこには全編を通じて流れているものがひとつあった。それは「人へのあたたかい思いやり」である。ユダヤ人を虐殺したナチスだが、この本まで禁止することは自分たち自身が人間であることを否定することになると思ったのであろうか。昨今、いじめ問題がクローズアップされているが、いじめによって人を自殺にまで追い込んだ人間は、ナチスよりも非道というべきかも知れない。何故このような子供たちを生み出してしまったのか。学校ばかりを責めることはできまい。基本的には家庭の教育力の低下が原因だろう。一方、戦後50年間の経済至上主義や思想的混迷も背景的原因としては欠かすことができない。単純には解決のつかない問題だが、人として生きるにあたってどんなことが一番大切なのか、現代人はそれを見失いつつあるのかもしれない。久しぶりに「飛ぶ教室」を読み返して、館長はそんな思いにとらわれた。興味ある諸君は是非一読することをお勧めする。それでは良い年を迎えられんことを。

1995年(平成7年)

1月号
 年頭にあたって、これほど悲惨なニュースに接するとは思わなかった。このたびの地震による被災者の方には心からお見舞い申し上げます。館長も所属している、学習塾の全国組織である塾全協の兵庫支部は、ほぼ壊滅状態となった。先日、館長も義援金を送ったが、被災された親しい塾仲間のことを思うと同情を禁じえない。天災か人災かと世間ではいろいろ取沙汰されているが、理屈はさておき、失われた人命は二度と戻ってこない。遺族の方々の胸の内はいかばかりであろうか。援助物資が続々と各地から届けられているというが、被災者の方々が元の生活に戻るまでどれだけかかるだろうか。復旧の槌音(つちおと)が聞こえ始めたとはいえ、苦難の道はまだ続く。どうか頑張ってもらいたい。そして一方我々はこの経験を無駄にしてはならない。大自然と共存するために今こそ人類の英知が試されているのだ。諸君の備えはどうであろうか。―――今年の館長の抱負は「自然を前に謙虚であること」、この一語である。

2月号
 場内が一瞬のうちに厳粛な雰囲気に包まれた。橋掛かりから翁(おきな)が登場した。―――国立能楽堂における「式能」の開演である。江戸時代、江戸城本丸の本舞台で行われた儀式能をそのままに再現した豪奢な舞台に、観客は知らず知らずのうちに時を越え、往時の人となる。金春、宝生、金剛、喜多、観世の各流派の能に、大蔵、和泉の各流派による狂言の組み合わせである。翁から始まり、高砂、清経、雪、鉢木、鐵輪(かなわ)の能と、その間に、末広、名取川二九十八、子盗人の狂言が入る。中でも鉢木(はちのき)はかの有名は佐野源衛門常世の物語だ。館長の大好きな能である。常世を演じた老役者の気迫にはその役者の高齢を思うとまことに頭が下がった。終演まで9時間30分を要したが、舞に見とれ謡に酔ったのか、不思議に疲れを感じなかった。充実した気の流れを感じる一方で、「無情なる人の世」への思いが交錯する。この気持ちは一体何と表現すればよいのか。今の世を必死に生きよ、過去を振り返るのは能の世界だけでよいのだ。そんな世阿弥の声が聞こえるようだ。源平時代から鎌倉幕府の滅亡、そして南北朝の動乱という乱世の修羅場を苗床として能は大成された。世阿弥は確かに乱世という時代を見極めたに違いない。世阿弥の透徹した人間観察の眼光が、能面の中から観客を射抜いているのだ。これに耐えるには余程の性根がいる。果たして館長は耐え得たのであろうか。―――混迷した現代社会は、新たな国際的乱世の時代といってもよい。新たな世阿弥がそして新たな能がどこかでその胎動を始めようとしているかもしれないのだ。我々も遅れをとってはなるまい。この世の真実の姿を見据えた上で、己の道を邁進すべきだ。そう、鎌倉武士、佐野常世が真一文字でいざ鎌倉と駆け付けたように。現代の我々はあの気迫を失ってはいないだろうか。人生を真剣に生き抜くこと。生死を越えた悟りがそこにはある。諸君も心して世の中を見よ。気迫を持って人生を生きよ。            ―――国立能楽堂にて――― 

3月号
 地下鉄サリン事件は言語道断の所業である。世界一安全な都市といわれた東京もついにテロの犠牲となった。地震等の災害に対する国や個人の危機管理は勿論だが、こうしたテロに対する危機管理までが日常の生活の中で必要となるとは、誰が予想したであろうか。戦後50年、経済成長一本槍できた日本もそろそろ一国平和主義から離脱する時が来ているのかもしれない。平和も安全もただで与えられるものではないのだ。国民の意識的な不断の努力が必要なのである。諸君の危機管理はどうであろうか。

4月号
 サリン事件に続く横浜有毒ガス事件、そしてアメリカでは爆弾テロ。実に物騒な時代になった。防毒マスクを付けた迷彩服姿など、この日本では映画か漫画の世界だけだと思っていたことが、現実化した。1月の阪神大震災以来、何か日本の回転軸が、いや世界の回転軸さえもが狂い始めたような気がする。米朝会談決裂の報道もある。何か得体の知れない力が人類を脅かしているようだ。人類にとって21世紀は無事訪れるのだろうか。いや、我々は流言飛語に惑わされてはならない。そしてそれを支えるのは何よりも学問の力である。諸君、心して学問に励みたまえ。若人たちの日々の学習こそが明日の世界を支えてくれると館長は信じている。

5月号
 4月26日、第15期中央教育審議会(中教審、文部大臣の諮問機関)の初会合が開かれた。4年ぶりの中教審再会である。前回第14期中教審に対しては、塾業界でも、学校機能の限界と民間教育の活用を訴えるアピールを採択した。(1993年11月3日、塾全協研修大会実行委員長 北辰館スクール 沼田広慶)。今回の検討事項には、「学校・家庭・地域社会の役割と連携のあり方」という項目があり、まさに我々のアピールの方向性に沿った形になっている。しかし、現実はこれらの連携を促進するような状況とは程遠いものがある。塾業界ではこのたびの中教審に対して民間教育審議会を発足させ、広く民間教育業界からの教育改革提案を行っていく予定だ。この民教審には館長も積極的に参加し、協力していこうと思っている。どのような提案がまとめられるか、入試制度の改善等、諸君にとっても切実な問題も少なくない。諸君の意見も遠慮なく聞かせてほしい。教育問題の主役は何と言っても諸君たちなのだから。

6月号
 雲取山、東京都最高峰2017m。その山麓は東京、山梨、埼玉の1都2県にまたがる。先日行われた春季登山合宿は、奥多摩湖畔鴨沢から七ツ石山を経て雲取山に登り、雲取荘に一泊、翌日は雲取から稜線をそのまま北上し、白岩山、前白岩山、お清平、霧藻ヶ峰、さらに三峰まで縦走した。行程約20キロの山行であった。館長にとってこのコースは大学以来3度目である。2度目は15年以上前のことなので、かなり新鮮な感じがあった。梅雨時にもかかわらず晴天に恵まれ、特に白岩山(1921m)の北方500mの白岩小屋からの和名倉山(わなくらやま)方面の奥秩父連峰の眺めは抜群であった。絶景と言うにふさわしい。それまでの疲れがいっぺんに吹き飛んだ感じであった。この夏は上高地へ行く予定だ。北アルプスの穂高連峰はどんな姿で我々を待っていてくれるのだろうか。予定では約7時間半に及ぶ徳本(とくごう)峠への登りも今から楽しみである。館長は今、充実した夏を目指している。諸君の今年の夏はどうであろうか。健闘を祈る。

7月号
 1931年9月、日本軍は奉天郊外で鉄道を破壊し、日中戦争に突入した。いわゆる満州事変の勃発(ぼっぱつ)である。そして14年の星霜を経て、1945年8月15日、国民に塗炭の苦しみを与えた大東亜戦争が終結した。兵の死亡・行方不明約200万、一般国民の死亡・行方不明約70万、被災者約900万と言う膨大な数字と原爆投下という恐るべき爪痕(つめあと)までも残して。―――戦後50年、今戦後論が盛んだが、国の安全保障や危機管理を論ずる前に、勿論それらは大切な問題ではあるが、その前に、我々はまず第一にしなければならないことがあろう。それは戦争で亡くなった多くの人々の御霊(みたま)の冥福を祈って手を合わせることである。尊い犠牲者を前にして謙虚に居住まいを正すことである。今年も8月15日が来る。50年の歳月を経て、英霊たちは私たちに何を語りかけてくるのだろうか。いや私たちこそが何を語らねばならないのだろうか。―――合掌。

8月号
「日本の教育 ドイツの教育」(西尾幹二著)、「教育と自由」(同著者)の2冊を読んだ。現代ドイツを中心とするヨーロッパ型の教育と日本の教育との比較教育論とでもいうべき内容であったが、いろいろな感銘を受けた。特に、日本の大学生は入るのにエネルギーを消耗させ、肝心の大学での自主的学習活動への意欲はひくいという指摘は考えさせられた。入試を全廃し、入るのは易しく、出るのを難しくという方法も考えられるが、入試の効用も捨てがたく、解決は難しい。人生や社会への問題意識のなさが原因のひとつかもしれない。温室育ちから来るエネルギー不足もあるかもしれない。若者のエネルギーは無尽蔵のはずだ。よく本を読み、よく考え、よく日々鍛錬すれば、入試勉強ぐらいで燃え尽きることはないはずだ。エネルギッシュに生きること、これこそが館長が諸君に望むことである。

9月号
 夏期講習会が一段落した8月の末、館長は講師の先生たちと上高地への登山合宿を行った。松本から松本電鉄で30分、新島々駅に到着したのは午後11時頃か。それから午前2時半まで駅のベンチで仮眠をとり、出発したのは午前3時。島々宿まで徒歩で約40分、真っ暗な街道の脇に、徳本(とくごう)峠への道標が立っていた。いよいよ全行程7時間に及ぶ徳本峠への登りである。ライトを頼りに渓谷沿いの道を、二俣(ふたまた)、岩魚留(いわなどめ)小屋、と順調に進み、4時間ほどたったろうか。仰ぎ見るような急登にかかる。途中、「力水」といわれている水場で一息入れると、さらに上を目指す。あえぐように登ること約3時間、突然パッと目の前が開け、圧倒するような穂高連峰の姿が眼前に迫っていた。「オオッ!」と思わず全員が声をあげる。この感動は言葉では言い表せない。我々はしばし呆然と雄大な山の姿に見入っていた。厳しさとすばらしさと、山の魅力は尽きない。勉強の世界も同じであろう。成果を得るには努力が必要だ。そして、わかればわかるほど面白くなってくるものだ。一歩一歩、頑張ろう。はるかなる頂上を目指して。

10月号
 今年も読書の秋がやってきた。仕事に追われてなかなか思うようにはかどらないが、1日にせめても30分でもと、努力している。館長のこの秋の読書計画は以下の通りである。但し、塾の仕事上必要な読書はこの中に含まれていない。冬期講習会までには読破したい。
「サッチャー私の半生(上・下)」 「アポロ13号――奇跡の生還」 「アメリカの鏡・日本」 「知の技法」 
「知の論理」 「ローマ人の物語W、ユリウス・カエサル」 「日本の古代――倭人の登場」
「インターネットのことがわかる本」 「世界超古代文明の謎」 「ディベートの原理・原則」 
「新訂・世界紛争地図」 「「全体主義の呪い――東西ヨーロッパの最前線に見る――」 
「児童の権利条約――その内容・課題と対応――」 「封印の昭和史」 など。
中でも「知の技法」 「知の論理」は現在、東京大学のテキストとして使われているもので、久しぶりに大学生に戻ったつもりでレポートでも書いてみようかと今からうきうきしている。本は本当にすばらしい世界だ。過去にも未来にも、そして世界中あらゆる場所へ、いや宇宙へも我々を誘(いざな)ってくれる。古今東西の様々な人の話に耳を傾けることもできる。何よりも頭脳の思考訓練に最適だ。諸君も館長に負けずに一冊でも挑戦してみよう。

11月号
 近年、高校入試の社会では、時事問題の出題が多く見られるようになった。年末の国内や海外の十大ニュースをまとめたものを中3生にはいふするということは、受験対策として北辰館でも以前から行ってきている。しかし、常日頃からそうしたニュースに接していないと、なかなかとっつきにくいようである。特に海外の国際的ニュースはその傾向が強い。そこで、12月からは毎週、中3生に国際ニュースをまとめたものを配布し、解説も加えることにした。国際化教育の一助にもなるだろう。名付けて「国際情勢ウィークリーレポート」。請う御期待である。

12月号
 今年は地震とサリン事件が十大ニュースのトップを争うだろう。明るいニュースが少ないのは海外も同じだ。4月、米連邦政府ビル爆破テロでは168人が死亡した。5月には中国が、9月にフランスが、核実験を再開した。さらに11月4日、イスラエルのラビン首相が暗殺され、同10日には、ナイジェリアの軍事政権が人権活動家9人を処刑した。11月、ボスニア包括和平が合意に達したのはせめてもの救いだ。しかし、12月にはチェチェン共和国で再び激しい戦闘が起こっている。一方、ASEANの動きも見逃せない。7カ国目としてベトナムが加盟したばかりか、将来10カ国体制に向けて着々と準備を進めている。アメリカとEUとの連携も日本にとっては脅威となろう。来年はどんな年になるのか。国連児童基金(ユニセフ)が発表した世界子供白書によると、過去10年間で200万人の子供が戦争や内乱のために死亡したという。来年こそはこの記録を伸ばすことがないよう心から祈りたい。良い年を迎えられんことを。  

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