館長より、君へ。 【今月の館長の言葉 3】

1996年(平成8年)

1月号
 昨年の12月23日、島村(前)文部大臣と対談する機会があった。塾業界で新たに設立された第1期民間教育審議会委員長に館長が就任してから1年近くが経っていたが、やっと大臣に直接教育の実情を訴えることができた。もっとも、新年早々、奥田幹夫氏が新文部大臣に就任し、また新たに対談の機会を作らなければならなくなってしまったが、新大臣にも積極的に館長の考えを訴えていきたいと思っている。審議会委員長の任期もあと1年。業界の発展は勿論だが、何よりも子供たちのためにどうすれば限りなく理想に近い教育ができるのか、この永遠の課題といってもよい問題に、臆することなく取り組んでいく覚悟である。北辰館における日々の奮闘を今こそ生かして、この国の教育に一石を投じたい。今年も館長は、授業に全力投球だ。

2月号
 過度の部活を廃止しようという運動が松戸市で起こっている。教育委員会も今回はさすがに無視できなくなってきたようだ。館長は、中学・高校の6年間、柔道部で汗を流したこともあって、どちらかと言えば部活には好意的である。しかし、どう考えてみても、現在の部活は異常である。なぜ朝練をしなければいけないのか。なぜ夜の6時過ぎまで、学校にいなければいけないのか。なぜ、毎週日曜日に部活があるのか。本来、日曜日は学校から家庭へ子供たちを戻すべきなのに。これでは教育の場としての家庭はいつまでたっても復活できない。なぜここまで子供たちを管理しなければいけないのか。睡眠不足と過度の運動による慢性の疲労感は健康を損なうばかりか、チャレンジ精神と創造的思考力、さらには他者に対する思いやりの心までをも奪ってしまっている。家庭学習はおろか、本もろくに読めはしない。今日の中学生の読書不足はテレビやゲームのせいばかりではない。このままでは、日本の中学生は真に自立できない人間として育ってしまうだろう。恐ろしい話だ。
 即時、朝練は全面的に撤廃すべきだ。夕練は夏場は午後5時30分、冬場も午後5時までとすべきだ。そして完全下校時間を6時と定めるべきだ。大会以外は日曜練習も廃止し、春・夏・冬休み中の練習も今の半分とし、完全自由参加制とすべきだ。1人の父親として敢えて提言したい。

3月号
 皇居の江戸城旧本丸跡近くに梅林坂と言う梅の名所がある。先日、所用で国会議事堂の前にある憲政記念会館に行った折、久しぶりで立ち寄ってみた。竹橋から北桔橋門(きたはねばしもん)、旧本丸、富士見櫓(やぐら)、二の丸庭園と東御苑を一周して梅林坂に足を停めた。思わず息を呑むような梅が迎えてくれた。館長は昔から梅が好きで、鎌倉の東慶寺や建長寺、水戸の弘道館などは、学生時代からよく散策した場所である。しかし、この梅林坂の梅は、また一段と見ごたえがあった。何といっても徳川将軍の梅である。しばし、幕末から明治維新へと続く歴史的奔流を思い、梅に遊んだ。寒中に咲く梅は凛(りん)として心を打つ。時代の変遷をその花弁に映しながらも、解釈を超えた存在として存在しているかのようだ。花の美しさも人の美しさも、実は同じなのかもしれない。顔、形のことではない。生き様の美しさを問題にしているのだ。俗な解釈を拒絶した、あらゆる権威にも動じない美しさこそ本物なのであろう。では、その美しさはどこから来るのか。梅の花は一向に答えてはくれなかった。わかる者にはわかる、とでも言いたげな顔をして黙っている。館長は梅に酔ったのかもしれない。―――今年も新学年度が3月からスタートした。いかなる花を咲かせることができるのか。皇居の梅との真剣勝負である。来年の3月が楽しみだ。

4月号
 先日、稔台小学校の入学式にPTA会長として出席し、祝辞を述べたが、そのあとで、新一年生の保護者の方々に次のような話をした。
 「・・・私はここで3人の若者のご紹介をしたいと思います。3人とも稔台小学校の卒業生です。1人はケーキ職人を目指して、この春、専門学校を卒業し、東京のケーキ屋さんに就職しました。もう1人は、北海道の獣医大学を卒業し、昨年から札幌のイヌネコ病院に勤めているお嬢さんです。そしてもう1人は、現在、慶応大学の大学院で考古学を勉強しながら、中近東文化センターの研究スタッフの一員として、エジプトの発掘調査のお手伝いをしている若者です。彼らは皆、小学生の時に、その後の人生を決定するような夢を抱きました。そしてその夢を大事に育て、今、まさにその夢の実現に向けて第一歩を踏み出しているのです。・・・」
―――この話の中の3人は、いずれも北辰館の塾生である。諸君もこの先輩たちに負けないような大きな夢を持ってもらいたい。諸君には無限の可能性が秘められているのである。自信を持って新学年をスタートしよう。

5月号
 先日、家族で奥多摩へハイキングに行った。高水三山という初心者コースである。小2の娘に合わせて選んだコースだが、なかなか味わい深い楽しい森林浴であった。高水山の頂上でお弁当を広げながら、よもやまの話をする。久しぶりの家族団欒(だんらん)である。現代の家庭では家族がそろって食事をする機会は少ないのではないか。我が家も普段はすれ違いが多い。親子の会話、夫婦の会話は、人生における何よりも大切なコミュニケーションである。館長も反省しなければならない。もっと妻や娘との自然な語らいの場を持たなければと思う。健全な家庭こそ、今の教育に一番求められているものではないだろうか。

6月号
 昨年の12月4日以来中3に配布している国際情報ウィークリーレポートが、30号を迎えた。当初は公民の入試問題に対応するためであったが、今では単に入試対策というだけではなく、北辰館スクールにおける「国際化教育」としても位置づけられるのではないかと思っている。現代の若者はこれだけ情報の洪水の中にいながら世界を知らない。いや、知らなすぎる。中国の核実験強行も、IRAによる爆弾テロも、アメリカ大統領選やロシア大統領選の行方も、北朝鮮の国情も、イスラエルの次期首相についても、何も関心がない。確かに、生まれた時から平和な世界で育ち、経済的にも恵まれ、物資の欠乏などという事態も、戦時下の生活も経験せずに生きてきた者にとって、世界の緊迫した情勢や危機的状況に関心を持てと言うのは無理な話かもしれない。しかし、本当にこのままでよいのだろうか。マスコミも国民にはひたすら娯楽番組のみを供給し続けている。世界は決して安全でもなければ平和でもないのだ。「国際化」とは世界のブランドを買いあさることではない。人類と地球に対する深い洞察こそが求められているのだ。

7月号
 アトランタ・オリンピック開幕の直前、米ジャンボ機が空中爆発を起こして墜落した。テロの疑いが濃厚である。一方で平和の祭典ともいうべきオリンピックが行われようとする時に、このような悲惨な事件が飛び込んでくるとは。言葉もない。全く何ということであろうか。オリンピックでの日本勢の活躍に一喜一憂するのもよいが、最近の世界各地におけるテロ事件には目に余るものがある。先日、館長の教え子の大学院生が中近東のイスラエルかエジプトの大学に留学したいが、と相談に来た。学問のことより身の安全を第一に考えなければならない地域だ。ご両親の心配もいかばかりか。平和と動乱、博愛と虐殺、国際スポーツ大会とテロ合戦、地球は、いや人類はどこか狂っているのではないか。ヒトラーのベルリン・オリンピックの後、世界は第2次世界大戦に突入した。今回のオリンピックの後、世界には何が起きるのか。正直言って、館長はオリンピックどころではない心境である。

8月号
 ブルンジのツチ族とフツ族、イスラエルとパレスチナ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チェチェン共和国、カンボジア、ソマリア、キプロス、北アイルランド、朝鮮半島・・・民族や宗教の対立による紛争地域、もしくは極めて政治的に不安定な要因を抱え込んでいる地域だ。オリンピックの陰でこうした紛争は一層激しさを増している。赤岳を登っている時は、すべてを忘れて仰ぎ見るような岩場の急斜面と格闘していたが、下界に降りてきて、このような新聞記事に接すると、人間の営みが本当にばからしくなってくる。だが現実は現実だ。無視する訳にもいかぬ。安心して世界の国々を旅行できる日はいつ来るのか。―――今年も暑い。
 
9月号
 塾の先生に対するインターネットの講習会に出席した。パソコンやワープロの操作もまだもどかしい館長にとっては驚異の世界であったが、21世紀は高度情報化社会にあることが確実であり、教育も論外ではないとなると、驚いてばかりはいられない。以前、アルビン・トフラーの「第三の波」という情報化社会の到来を予言した本を読んだことがあるが、現実はそれをはるかに超えたスピードで進展しているようだ。改築される新しい事務所には最新のコンピューターシステムが導入される予定である。将来はインターネットは勿論、世界中の教育網とのコンタクトが可能になるはずだ。21世紀に向かって北辰館も大きく変わらなければならない。諸君も新たな時代を目指して飛躍してほしい。

10月号
 CIC(カナダ国際大学)の卒業生の何人かと親しく話し合う機会があった。それぞれ一流の企業に勤めている20代の若者たちだが、カナダでの数年間の学生生活がよほどすばらしかったのか、CIC卒業生としての誇りと自信に満ちた、実に気持ちのよい若者たちであった。「国際化」という言葉が話題になったが、真の国際人の条件として彼らが第一にあげたのは、日本人としての自覚と日本文化をしっかりと身につけることだった。意外に思われるかもしれないが、1カ国以上の外国語ができるのは前提条件というか、コミュニケーション手段として当たり前のことだから、さして話題にはならなかった。それより、日本のことを外国人に説明できることが必要であり、第2には、人前で自分の考えを筋道を立てて話せること、そして第3に、討論に参加できること、第4には国際的視野を持つことであった。新生「北辰館スクール」は「国際化教育への挑戦」をキーワードにする予定である。期待してほしい。それにしても、早く新教室ができないかなぁ。

11月号
 国連児童基金(ユニセフ)が11月9日に発表した「紛争が子供に与える影響調査」は、驚くべき実態を示している。調査対象はルワンダやザイールなどのアフリカ紛争地だが、戦闘に巻き込まれて犠牲になった子供が過去10年間に200万人に上り、重傷を負った子供はその3倍の600万人になるとしている。また、ユニセフの96年版「世界子供白書」では、88年だけで約20万人の16歳未満の子供が戦闘員として参加しているという。このほか、社会的混乱で、栄養失調や疫病にかかる子供の数は数百万人に及んでいる。我々はこうした現実に目を向けるべきだろう。しかし、どうすればこの状況をなくすことができるのであろうか。国連も効果的対策は立てられないままである。諸君は、この現実をどう思うか。

12月号
 日本大使公邸占拠・人質事件が現在進行中である。1年を振り返ってみる暇もないようだ。それにしても今年はなんともあわただしい年だった。新塾舎の建築はやっと目鼻がついてきてひと安心だが、冬期講習会、入試直前特訓、そして入試本番と、塾としても一番大切な時節を迎える。初心を忘れず、気を緩めずに頑張りたい。ペルーの事件は一国平和主義と温室的外交を展開してきた日本に大きな課題を突きつけているようだ。幕末維新と同様の大転換の時代が近づいているのではないか。第二、第三の坂本竜馬が求められているのかもしれない。我が北辰館から平成の竜馬が生まれることを望みたい。よい年を迎えられんことを。

1997年(平成9年)

1月号
 一年の計は元旦にあり。今年も1月がすでに過ぎようとしている。光陰矢の如し。目標を定めて、しっかりとした計画を立て、着実に実行しよう。館長は今年の目標として、自らの語学学習の充実と基礎体力のトレーニング強化の2つをかかげた。国際化時代を迎えて、何をするにも外国語学習は欠かせない。そして何といっても体力はすべての活動を支える。塾生に笑われないよう、頑張りたい。諸君の今年の一年の目標はなんだろう。それぞれの目標に向かって邁進せよ。

2月号
 中国の改革・開放路線を推進したケ小平氏が死去した。中国に与えた歴史的影響力は、中国建国の父、故毛沢東に匹敵する人物と言えるだろう。若くしてフランスに留学し、欧米思想に直接触れた体験が、中国人としてはひと味違った指導者として成長した原因になったのかもしれない。諸君に知っておいてほしいのは、彼の不撓不屈(ふとうふくつ)の精神である。生涯、三度にわたって失脚したが、そのつど不死鳥の如き復活を果たした。この精神力は学ぶべきだろう。勿論、学生・市民等の民主化要求を武力で弾圧した天安門事件(89年6月)など、批判される点もないわけではないが、大国中国を指導してきた人間として、主義思想の違いはあるにしても、その指導力は高く評価せざるを得ないだろう。1m50pの小さな巨人の冥福を祈ると共に、日中の友好関係の続くことを心から願ってやまない。―――それにしても、日本の政治家は人物が小さい。まことに情けない。諸君に期待する。

3月号
 先日、稔台小学校の卒業式に出席して、PTA会長としてお祝いの言葉を述べた。30年以上も前になる自分の卒業式が自然と思い出された。30年以上も前のその日、担任の先生から記念のことばを書いていただいた。「良き人につけ」ということばだった。人生何事につけ、おごることなく、良い先生について、謙虚に努力せよという訓えであったが、これは今も館長の座右の銘となっている。この話は、稔台小学校でのお祝いのことばの中でも触れたことだが、聞いていた卒業生の諸君はどう感じただろうか。その話の中では、さらに、30年ぶりの同窓会で恩師と再会し、恩師がこの言葉のことを覚えておられて、館長が感動したことを話したが、教え子の一人一人をいつまでも見守り続けるというのは、言うが易いが、実際は大変なことであろう。館長も、よき師と言われるように頑張りたい。昨今、教育の荒廃が叫ばれているが、愛情豊かな健全な家庭と、先生と生徒との人間的な信頼関係さえあれば、かなりの部分は解決できるのではないかと思う。人間は決してロボットではない。コンピューターの時代でも人間には人としてのぬくもりが何より必要なのだ。

4月号
 4月吉日、教え子の結婚式に仲人として出席した。教え子は四役雅宏君。日本大学法学部を卒業し、営業マンとして活躍中の好青年である。中学の3年間を通して北辰館スクールに通塾し、大学時代は講師としても活躍した。教え子の仲人は今回が初めてではないが、若いカップルの新しい門出はいつ見ても本当に気持ちがよい。希望に満ちあふれている。二人の幸せを心から祈りたい。―――ところで、館長の事務所にIBMのコンピューターが入った。インターネット、ホームページとやりたいことは山ほどある。成果のほどは、今しばらくお待ちいただきたい。乞う、ご期待。

5月号
 5月の連休、家族で奥多摩に行った。目指すのは、御岳山(みたけさん)から大岳山(おおたけさん)に登り、鋸(のこぎり)尾根を経て奥多摩に至るコースである。前日の晩は、奥多摩駅近くの旅館に泊まった。「民話の宿」として有名な所で、以前、北辰館のサマーキャンプでも利用したことがある。夕食後、囲炉裏端でご主人の民話の語りを聞いた。熊狩りの話、岩魚(いわな)の精の話、かみなり様の話等、単に面白いというより、山で働く人々の生活に根ざした、実に趣(おもむき)のある話であった。その語りがまたいい。間の取り方といい、声の調子といい、いろいろと参考になった。何よりも感じたのは、「民話への思い」であり「情熱」であった。それがあの語りを支えているのだろう。―――諸君は、今、何に情熱を燃やしているのだろうか。

6月号
 以前から中3生に配布している国際ウィークリーレポートを、今月からさらに拡大して、マンスリーレポートAとBを出すことにした。Aは1か月分のウィークリーレポートを地域別にまとめたものであり、Bは昨今の国際問題についてのレポートである。時事問題は入試において20〜30%近くも取り上げられている。 国際感覚は日頃から養っておかなければ、簡単に身につくものではない。サミットにロシアが加わり、香港が中国に返還される。国際社会は世紀末を迎えて大きく変動しつつある。ゲームの世界はあくまで仮想の世界に過ぎない。現実の世界を直視して生きてほしい。国際化社会こそ諸君の置かれている現実の世界なのだ。

7月号
 神戸の事件はまことに深刻な影響を国民全体に与えているようだ。何故、このような犯罪が起こるのだろうか。専門家ばかりでなく、国民が皆で考えなければならない問題だ。学校だけの問題では決してない。戦後の日本社会全体の問題だと思う。大人たちが、親たちが、いや社会全体が人間として何か大事なものを見失ってきたのかもしれない。戦後50年かかって失ったものを取り戻すのはやはり50年かかるのだろうか。いや、そんなに待てないだろう。1日も早く、我々は本当の人間社会を取り戻さなければならない。でも、本当の人間社会ってなんだろう。諸君の意見を聞かせてほしい。

8月号
 昨年の夏は八ヶ岳の主峰・赤岳に登ったが、今年は、北八ヶ岳を山小屋泊まりの3泊4日の行程で縦走することにした。南八ヶ岳よりは、起伏がなだらかで歩きやすいが、所によってはかなりの急斜面や岩だらけの道もあり、点在する池とともになかなか楽しい山行であった。第1日目は渋の湯から黒百合平に入り、2日目は黒百合平から天狗岳(2465.8m)に登り、そこから北へ縦走を開始、高見石を経て白駒池に泊まり、3日目は麦草峠を経て北横岳に登り、亀甲池に下り、さらに双子池まで足をのばして泊まった。4日目は双子山を経て蓼科(たてしな)山(2530.3m)に登り、蓼科牧場に下り、帰路についた。この間、水はすべて川と池の水であった。山頂からの大展望は勿論のこと、森と池と、まことにすばらしい自然を満喫してきた。人類の祖先は森に住んでいたといわれている。緑深い山には、人類の遺伝子に安らぎを与える何かが存在するのではないか。自然を大切にしたい。

9月号
 先日、塾業界の研修があり、現代の子供たちの生活や生き方を巡って様々な意見が交わされた。物質的にはこれ以上はないと言うほど、恵まれている今日の日本の子供たちが、なぜか、うつろな心を抱えている。勿論、皆がそうだという訳ではない。しかし、社会の中で自らの存在感を失いつつある若者が増えているのではないか。諸君はどうだろうか。目標をしっかりと持って、希望に胸をふくらませ、日々前進しているだろうか。―――朝鮮半島の情勢も中近東の紛争も何一つ解決はしていない。激動の21世紀を目前に控え、諸君にはたくましい生命力が要求されているのだ。気力を充実させてこの秋を乗り切ろう。

10月号
 読書の秋。本は心の栄養である。時空を越えて、古今東西のあらゆる場所へ読者を連れていってくれる。コンピューターゲームは、視覚的な刺激を与えてくれるかもしれないが、自ら主体的に人生を深く考えさせる機会を与えるものではない。読書にはそれがある。本は読めば読むほど、心豊かな人生を約束してくれる。読まなければ、それだけ心は貧しくなる。この秋は、1冊でも多く本を読もう。―――館長は今、島崎藤村の「夜明け前」(全4巻)に没入している。諸君は今、何を読んでいるだろうか。

11月号
 海面が1メートル上昇すると仮定すると、世界で、毎年、洪水や高潮の害を被る人口は今の3倍1億2000万人に達する。アジアで米作地帯の1割は塩水をかぶり、2億人分の食糧に影響が出ると言われている。2020年ごろには、温暖化による海面上昇の影響が目に見える形で表れてくるという話だ。(11月20日付け読売新聞) 実際には、高さ100メートルに及ぶ大津波が全世界を襲うようになるという説もある。どこで人類は道を誤ってしまったのだろうか。来月1日から始まる「地球温暖化防止京都会議」の成果に注目したい。環境問題に諸君は今、どのくらい関心を持っているだろうか。

12月号
 オリオン座の3つ星が美しい。オリオン座のペテルギウスとこいぬ座のプロキオン、それにおおいぬ座のシリウスによって冬の大三角ができる。オリオンの3つ星の位置関係がエジプトの三大ピラミッドのそれと同じだという話がある。1万数千年前の気候大変動による大洪水によって空前の大災害に見舞われた人類が、後世のために残した警告のモニュメント(記念碑)が三大ピラミッドだという仮説である。真偽のほどはともかくとして、温暖化防止京都会議が先日終了した。自然環境を自ら破壊しつつある人類の未来はどうなるのか。21世紀、第二の大洪水は人類に何をもたらすのだろうか。―――良い年を迎えられんことを。 

1998年(平成10年)

1月号
 今年の抱負を友人や卒業生への年賀状に書いた。北辰館スクールの充実は当然のことだが、ほかに個人的なものとして、読書100冊、柔道五段昇段、家族での立山連峰踏破、インターネット、そして減量5kg。どこまで実現可能かわからない。一番難しいのが減量かもしれない。さて、諸君の今年の抱負は。それぞれの目標に向かって、今年も良いスタートを切ってほしい。入試はすでにもう本番を迎えている。全力を尽くせ。

2月号
 今、Naganoオリンピックが閉会した。司会者が叫んだ。「我々のふるさとはどこだ?」満場の人々が答える。「地球だ!」―――世界中の人々が、オリンピック精神を忘れなければ、世界の平和は保てるはずなのだが。現実は別世界だ。民族紛争も、宗教対立も、虐殺まで、とどまるところを知らない。そどころか、今この時、中東の湾岸地域は出撃命令を待つ空軍パイロットたちの緊張感でみなぎっているのだ。人間とは一体何なのだろう。永遠の課題かもしれない。

3月号
 少年の暴力犯罪が続いている。3月20日付の読売新聞によれば、特に刃物を使った犯罪は、1月〜2月だけで38件。内19件に中学生が、11件に高校生が絡んでいるという。刃物以外の凶器を使った少年凶悪犯罪も含めると、昨年だけで370件、前年比47%増になる。もはや一刻の猶予もないほど、事態は深刻である。
 家庭教育の崩壊、地域社会の崩壊、社会全体の倫理観の混乱、価値観の多様化、道徳教育の喪失、情報社会のストレスと不安の増大、国家進路の不透明感、大人社会の堕落、食品添加物や化学物質による環境汚染の人体への影響、・・・等。様々な原因があげられようが、根本的な解決策はまだ見つかっていはいない。
 大事なことは、人としての本来の生き方を取り戻すことだ。それはまず第一に、歴史を知ること。そして過去の歴史とのつながりの上に現在の自分がいることをはっきり自覚することだ。これだけでも、精神的不安は解消するはずだ。歴史の連続性の中に自分の存在する位置を見つけ出すことは、人間として生きる上に最も根本的な出発点である。第二には、人間を動物と厳然と区別しているもの、つまり礼儀を学ぶことだ。これは理屈ではない。幼児のころより自然と身につけさせなくてはならない。己れのよって立つ歴史を知り、礼儀をわきまえた人間は、決して人生に不安を感じることも、またストレスに負けることもない。日本人全体がこのことに目覚めてほしい。それも一日も早く。このままでは、この国は危うい。

4月号
 アジアの混迷が続いている。民主化への道は険しく、経済的危機も未だに収束されてはいない。いや、それどころか、政治、経済、文化等、あらゆる面にわたって、ますます先が見えなくなってきているようだ。カンボジアのポル・ポト派による大虐殺は解明されておらず、朝鮮の緊張も変わらない。インドネシアの国民的不満は爆発寸前と言ってよい。諸君は21世紀のアジアを背負うのである。心してかからねばなるまい。まずは日々の勉学にいそしむことである。

5月号
 インドが地下核実験を行った。世界は今、緊張のただ中にある。最悪のシナリオは、パキスタンが対抗核実験を行い、中国とインドの対立が再燃し、中近東の国々は、核武装へ走った場合である。おそらく核戦争は現実的選択の1つとなって、世界の指導者の背筋を寒くさせるかもしれない。いや熱くなる指導者もいるから困るのだ。広島と長崎の歴史的事実が、いまだに生かされていない。核保有国による核の全廃が1日も早く実現されることを願ってやまない。

6月号
 ワールド・カップをテレビで観戦した。無我夢中で応援した。しかし、世界の壁は厚かった。日本人は久しぶりで国際社会の中にある日本の存在をあらためて実感したのではないだろうか。日本人が、強烈に外の世界を意識したことは歴史上何度かある。古くは663年の白村江の戦で、唐の水軍に敗れたときであろう。このときの中大兄皇子(後の天智天皇)の恐怖心は想像するに難くない。国家存亡の危機であった。そして、言わずと知れた国難と言えば1274年、1281年と2度にわたった元寇がある。さらに1853年のペリー来航は日本を近代国家へと展開させる発端となった。いずれも日本は外国勢の強さに驚き、奮励努力、その差を克服せんと全力を尽くした。戦後50年余り。経済大国の道を追及してきたこの国もようやく大きな曲がり角にさしかかっている。国際社会を前向きに理解しようとすることは大切である。ただし、外国の影響を受けて右往左往するような姿は見苦しい。日本人の内からの覚醒を祈りたい。 

7月号
 中学・高校の柔道部時代の写真が出てきた。忘れていた思い出がよみがえる。夏の合宿は地獄のようだった。よく頑張ったものだと思う。このときの体験が、今日の館長を支えていると言ってもよい。やはり若いときは鍛えられた方がよい。」夏休み」とは言うなかれ。夏期鍛錬期間である。

8月号
 霧の中を道を確かめながら登った。立山連峰の縦走は第1日目から天気が悪かった。雄山(おやま)、大汝山(おおなんじやま)、富士ノ折立(ふじのおりたて)と、3000m峰の山々を無事縦走し、別山(べっさん)を経て、雨の中を剣御前(つるぎごぜん)小屋に到着。夜半から暴風雨となり、翌早朝、ドシャ降りの中を強行下山。道は川となり、4〜5メートル先はほとんど見えない中を、すべりおりるようにして室堂平(むろどうだいら)に到着。途中、地獄谷付近では激しい雷に遭遇、落雷の危険を感じながらも無事通過してきた。妻や娘にとっては、山での悪天候は初めてに近い。いい経験になったはずだ。もう少し下山が遅れていれば土砂崩れや、増水による橋の通行止めによって、小屋で足止めにあっていたかもしれない。これは判断に迷うところだ。天候の回復を小屋で待つべきか。それとも早めに下山してしまうか。後からだと何とでも言えるが、パーティーの疲労度や下山路の状況、天候判断。様々なことを考慮して判断を下すのは本当に難しい。山に登り始めてかれこれ25年くらいになるが、今回は改めて山のこわさを感じた。―――諸君はこの夏、どんな体験をしただろうか。夏に充電したエネルギーを9月からの新学期に爆発させてほしい。期待している。

9月号
 中2の国語の授業で平家物語の「橋合戦」を読んだ。久しぶりに平家を音読して今さらながら古典のすばらしさに感動した。やはり古典は声に出して読まなければいけない。英語も同じだが、音読することはあらゆる学問の基礎である。諸君も毎日声に出して本を読んでほしい。いわゆる速読や黙読はこの基礎訓練があってはじめて本物になる。それにしても古典は楽しい。更級(さらしな)日記では江戸川と松戸の渡し場の記述が出てくる。1000年前にここを旅した一行があったのだ。そう思うだけで、古地図を見ながら時間のたつのも忘れて、平安時代に遊ぶ。この楽しみは格別だ。この秋、諸君も古典の世界に浸ってみることをお勧めする。

10月号
 北辰館スクールもパソコン元年をやっと迎えることができた。先日インターネットへのアクセス手続きを完了し、インターネットを利用することができるようになった。今後塾生の指導に最大限に活用していきたいと思っている。館長のメールアドレスは、hokusin@olive.ocn.ne.jp である。また近く、北辰館スクールのホームページも開設する予定だ。期待してほしい。

11月号
 北辰館スクールの高3クラス生で、今年の9月からアメリカの高校に留学している篠原さんからEメールが届いた。授業間の休み時間は4分しかないこと、レポート提出等の宿題がたくさん出て、毎日猛勉しないと追いつかないこと、アメリカ史の教科書が日本の歴史の教科書の倍以上の厚さがあって読むだけでも大変なこと、とにかく忙しくてホームシックにかかる暇もないというようなことが書いてあった。すばらしい体験である。彼女の健闘を祈りたい。一方、イスラエルのヘブライ大学の大学院に留学した永井君からも英文のEメールが届いた。テロに巻き込まれないよう神経を使う毎日だという。国際化時代は館長にも身近なものになった。

12月号
 米英軍によるイラクへの攻撃、北朝鮮潜水艇の撃沈、中東和平会談の失敗、アジア金融・経済の混乱など、海外ニュースは明るい話題がない。国内に目を転じても、不況の風はおさまらず、教育界でも学級崩壊、校内暴力の増加と、問題は山積するばかりである。57年前の12月8日、日本は米英軍と西太平洋において戦端を開き、国家の命運をかけた戦いに突入した。そして敗戦。日本はしかし、驚異的経済復興を成し遂げた。だが、この半世紀の日本の歩みに間違いはなかったのか。いや国民として、人間として、大切なものを見失っていたのではないか。それは国民としての道であり、人間としての道である。偽りの多い今日の日本において、心して正しい道を見極めて欲しい。――――よい年を迎えられんことを。

1999年(平成11年)

1月号
 昨年の北辰タイムズ1月号の館長の言葉に、年頭にあたっての抱負を書いた。実現できたものもあるし、できなかったものもあった。インターネットへの参入は年末ぎりぎりに間に合ったが、読書計画の方は半分も実行できなかった。しかし、今年も新たな目標を立てて努力したい。読書は精読50冊、柔道五段昇段、北アルプス白馬連峰踏破、そして何よりも、北辰館スクールの全塾生の平均偏差値5ポイントアップ、柔道大会のメダル5個以上獲得。諸君の一年の計はいかなるものか。より充実した年となることを祈りたい。今年も希望を忘れずに前進せよ。

2月号
 学級崩壊から学校崩壊へ。日本の教育制度そのものが今、危機にさらされている。中学校から小学校にまで及んできているとなると、ただ事ではない。勿論、すべての学校がそうだというわけではないだろう。程度の差もあろう。しかし、戦後の教育、というより日本社会の有り様がどこか間違っていたことは否めないだろう。敗戦と占領政策という歴史的事実を無視することもできない。やむを得ない事情もあったであろう。しかし、戦後半世紀を過ぎたのだ。もう目覚めてもいいのではないか。国民として誇りの持てる国にこの国を変えようではないか。北辰館からその第一歩を始めよう。学校崩壊なんかに負けるな。しっかりと勉強せよ。人に対しては礼儀正しく、自分のすべきことに真剣に取り組め。この北辰館精神を忘れるな。諸君に期待する。

3月号
 先日、伊豆下田の郷土資料館を訪ねた。ペリー来航から開国に至る幕末の日米外交史を調べるのが目的であった。1858年調印された日米修好通商条約は、衆知の如く、領事裁判権を認め、関税自主権を否定した不平等条約であった。アメリカの圧倒的な軍事力の前に日本は不本意な形で開国せざるをえなかったのである。この不平等条約の改正には約半世紀もの年月が費やされた。改正が成ったのは1911年である。しかし、歴史は繰り返された。第2次大戦の敗戦によって日本はまたもや自主外交権を放棄せざるをえなかったのである。昭和20年9月2日、マッカーサー司令官は、日本が無条件降伏の調印をした軍艦ミズーリ号上に、幕末時の領事館に掲げられていた星条旗を取り寄せて掲揚したという。彼はペリー以来の日米外交史を意識したのである。日本が米国と対等の平和友好関係を結ぶのは一体いつのことであろうか。21世紀を担う諸君に期待する。

4月号
 文部省が発行した家庭教育ノートに、1ヶ月に1冊も本を読まなかった子どもの割合が書かれてあった。小学生16.6%、中学生47.9%、高校生67.3%。 つまり、小学生はともかく、中学生は約半分、高校生は約70%が本を読まないということである。 読書は人格形成に大きな影響を与えるものだ。心の栄養でもある。本に親しまない人間が増加しているということは、この社会が、潤(うるお)いのない、殺伐とした世界となることを意味する。 アメリカの高校で先日起きた銃によるショッキングな事件を起こした子供たちは、どんな本を読んでいたのだろうか。あるいは、読んでいなかったのだろうか。それとも現代は、もはや読書の影響力を期待してはいけない世界になっているのだろうか。いや、そうではあるまい。諸君、本を読もう。

5月号
 新緑の季節。「21世紀の森と広場」をここの所、毎日のように歩いている。午前中、近くの県立西部図書館で勉強しているため、行き帰りにぐるっと一回りしているのだ。松戸市の真ん中に、こんなに緑豊かな場所があるとは驚きである。風もさわやかで、「トトロの森」のような所から吹いてくる風もあれば、宮沢賢治の「かぜの又三郎」に出てくるような風も吹く。かの哲学者カントは、毎日規則正しい散歩をしたため、通り道の住民たちは時計代わりにしたという話が伝わっている。ベートーヴェンは有名な田園交響曲の主題を、文字通り田園の小道を散歩しながら作り上げたという。さて、館長は何を思いながら歩いたか。それは諸君の想像に任せたいが、諸君にも自然との語らいをお勧めする。宮沢賢治の詩にもある。「‥‥雲からも風からも、透明な力が、そのこどもに、うつれ‥‥」

6月号
 英国外務省の概算によると、6月18日の時点で明らかになっただけでも、コソボ各地で約1万人が過去3ヶ月間の「民族純化」で虐殺されたという。実際の犠牲者はこれをはるかに上回るとされており、民族・宗教紛争の深刻さを改めて思い知らされた。人間は何故、これほどまでに争い、殺し合うのか。第1次大戦後の不戦の誓いも、第2次大戦後の希望も、すべてはアワと消えたといってよい。もはや人類に残された道は、戦争と虐殺の繰り返しによる破滅しかないのでは、と悲観してしまいそうだ。しかし、ここであきらめてはなるまい。粘り強く国際平和への道を訴え続けることが必要だろう。国家の防衛と平和への戦略を同時に行っていくことは歴史的に見ても確かに難しいことではあるが、やらねばならないことである。21世紀を背負う諸君に期待する。

7月号
 今年も夏山の季節がやってきた。梅雨明け直後の中部山岳地方は比較的安定した天候が期待できるため、岳人たちは一斉に山に入る。館長も大学時代のこの時期は、ほとんど平地にいたことはない。夏休みの前半は毎年ずっと山にいた。夏の後半は秋の試合に備えるため、柔道の稽古に没頭したが、前半は山から山への毎日であった。山仲間と1週間ぐらいテント泊の縦走をしてくると、2、3日休養するかしないかで、次の山行に出かけたものだ。八ヶ岳の赤岳中腹でニホンカモシカに間近に出くわした驚きは今でも忘れない。白馬の山頂付近で夜、暴風雨に遭い、テントが破れ遭難しかかったこともあった。前穂高岳の下りで左足首を痛め、足を引きずりながら河童橋を渡った時は、本当に辛かった。しかし、山の素晴らしさは、何ものにも代え難いものがある。汗をぬぐいながら飲んだ山の水のうまさ。山頂からのご来光には思わず手を合わせた。心なごませる高山植物の花々。‥‥今年も館長は山を目指す。諸君はこの夏、どんな体験をするだろうか。勉強でもスポーツでもリクリエーションでも、充実した夏となることを期待する。

8月号
 北アルプスの白馬岳に登った。25年ぶりである。アイゼンをつけて一歩一歩踏みしめて登った大雪渓は、高山植物の花々とともに、相変わらず雄大な姿で我々を迎えてくれた。烈風の中、頂上から眺めた剣(ツルギ)と立山の堂々たる姿は、登りの苦しさを一遍に吹き飛ばしてくれた。絶景といっていい眺望を満喫することができた。夕刻、空がオレンジ色に輝き、残照は限りなく赤く、天空は恐ろしいほどに燃え上がり、我々雲上の人間どもは、その落日のドラマに酔いしれた。誰もが、悠久の自然の営みに圧倒されていた。早暁、雲間から新たな生命の誕生を告げるかのような鼓動をともなって、太陽が顔を出した。雲はきらめきながら、滝雲となって次から次へと稜線上を流れていった。上昇気流と下降気流が複雑に絡み合い、白雲は天の羽衣の如く、優美な舞を舞った。この直後、我々は偶然にもブロッケン現象(自分の影が向かい側の雲に映り、そのまわりに虹のような輪ができる現象)を体験した。下山路で見かけた雷鳥といい、何かと話題の多い山行であったが、自然の雄大さ、素晴らしさを存分に体感できたことは本当に意義深いものがあった。―――――さて、夏休みもあとわずか。2学期に向けての諸君の準備は整っているだろうか。充実した夏であったことを祈りたい。

9月号
 先日、塾全協主催の進学相談会が新宿で行われた。館長は役員の立場からも、朝から終了時まで会場にいたが、真剣な顔で相談をしている受験生や保護者の姿に接して、こちらも気合が入った。熱心な子供たちの顔を見ていると、どうかいい学校に巡り合ってくれますようにと祈らずにはいられない。館長の中学受験時代には、このようなイベントはほとんどなかった。偏差値もない。当時通っていた塾の先生に勧められて受験したというのが実態である。受験1週間前になって初めて場所を確認するために受験校を訪問したが、正門を見ただけで、中には一歩も入らずに帰ってきた。幸い合格したからよかったが、昔は大抵こんなものであった。入学式で校長先生の話を聞いて、いい学校に入ったなあと思ったが、それも束の間、授業や部活や学校行事に追われる毎日で、自分に適しているかどうかなどと考えている暇もなかった。しかし、今でも楽しい思い出ばかり残っているし、自分にとっていい学校だったのだろうと思っている。現代は膨大な情報があふれている。情報量が多いのは悪いことではないし、現代の受験生はその意味では幸せだと思うが、一方、情報に振り回されている人たちもいるようだ。高度情報化社会において大切なことは、いかに情報を選択し整理するかということでもある。学校情報を追い求めるばかりで、肝心要(かんじんかなめ)の勉強の方は今一つ、という受験生もいる。情報も大切だが、勉強の実力をつけることも忘れないように。時はまさに勉学の秋である。

10月号
 インターネットを通じて、様々な地域から、いろいろな人々から、メールが届いている。情報化社会の一端を実感するとでも言えばよいのだろうか。しかし、膨大な情報の大海の中で、自らの進むべき道を見失っている現代人も多いのではないだろうか。情報を求めてインターネットに参入するのも、メールの送受信を通じて様々な未知の人々とコミュニケーションをとるのも、個々人の人生をより豊かにすることにつながるならば結構なことだが、情報に振り回されてしまっては何の意味もない。情報を整理し、適切に利用する能力が今、現代人に求められているのだ。受験生諸君の学校選びにもこれは言えることだろう。情報を制する者こそ勝利者となるのだ。

11月号
 愛読書の中からさらに本を選ぶというのは辛いことである。今回の「読書のおすすめ100選」で、前回に続いて残りの50冊を選んだが、身を切られる思いをした。3冊の中から1冊、10冊の中から1冊、あるいは100冊の中から1冊という具合に選ぶのは本当に難しい。結局は、記憶に残っている割合が大きい方を選ぶしかなかったが、それでも迷いに迷ったものもある。要するに本が好きなのだ。映画・テレビやパソコンゲームも楽しいかもしれないが、1冊の本を感動を持って読みおわった時の満足感、充実感は、何ものにも代え難いものがある。哲学もよし、歴史もよし、文学もよし、科学もよし。諸君、存分に読みたまえ。

12月号
 西暦2000年は20世紀の最後の年であり、100年に1度の世紀末である。一方、ミレニアム(mille-nnium)とは、1000年間を表わす英語で、キリスト教の世界では、キリストが再臨してこの世を統治するという神聖な1000年間をも意味している。これは「千年王国論」とも呼ばれている。様々なイベントが世界各国で開かれるようだ。しかし、2000年という年はそれだけではない。ご承知のようにコンピューターの「2000年問題」がある。99.9%は何事もなく無事に年を越せるとは思うが、100%絶対に大丈夫という保証はない。交通機関の混乱、ライフラインの崩壊、動乱、騒乱、さらには核ミサイルの飛来、そして人類の滅亡など、挙げればきりがない。ただでさえ世紀末には、予言や新興宗教がはやり、社会不安が増大することが多い。しかし、いたずらに騒ぐことはやめよう。冷静に宇宙の流れを見詰めることが必要だ。あの銀河の星々の運行は、100年や1000年の単位ではとても測りきれないほどの時の流れの中にある。地球も同じだ。宇宙的視野で地球と人類の営みをとらえよう。まずは頭を冷やそうではないか。それから万が一に備え、現実的行動に移ろう。よい年を迎えられんことを。

2000年(平成12年)

1月号
 20世紀最後の年が始まった。21世紀まであと1年である。20世紀を生きる人類は、21世紀を生きる人類に、希望あふれる世界を渡すことができるのだろうか。20世紀には2度の世界大戦があり、大量の戦死者、犠牲者を出した。民族紛争や宗教紛争もとどまる所を知らないかのようだ。大量の難民が発生し、国際社会の対応は限界を超えている。環境破壊への抑制もままならず、一方、エネルギーや食糧・人口問題も解決策は見えてこない。遺伝子工学やコンピューター技術など、突出した進歩を示している分野がある反面、社会道徳や家族生活の崩壊が人間社会を危機に陥(オトシイ)れている。このままでは地球は本当に危ういのではないだろうか。次代を背負う諸君の英知に期待したい。

2月号
 先日19日、オーストリアのウィーンで、極右・自由党参加の連立政権に反対する大規模なデモが行われた。参加者は15万人にのぼったという。もう半世紀以上も前になるが、当時のドイツにおいて、ナチスの台頭を支えたのは、第一次世界大戦敗北によって経済的危機にさらされた産業界と、膨大な数にのぼった失業者である。社会不安は、民主社会に恐るべき破戒と暴力をもたらす狂気の温床となる。早めに手を打たねばなるまい。民主社会から全体主義社会へはほんの1歩である。今月1日の総務庁発表によると、1999年の日本の完全失業率は4.7%、完全失業者も317万人と、300万人を突破、ともに1953年の調査開始以来最悪の数字となった。この数字が意味するものは重い。社会の風潮に流されずに、何が正しい道なのかを見極めるのは難しいことだが、国民1人ひとりにとって必要なことである。そのためにも学問は大切だ。
    The pen is mightier than the sword. ペンは剣よりも強し。

3月号
 先日、塩野七生(しおのななみ)氏の「ローマ人の物語[」を読み終えた。このシリーズはまだまだ続刊する予定だそうであるが、偉大な帝国がなぜ、分裂し、衰退し、崩壊していったのか。歴史への興味は尽きない。今年は世界の歴史(中央公論新社)全30巻を読破するつもりだ。一方、日本の歴史にも最近は新しい光が投げかけられている。西尾幹二氏の「国民の歴史」はその意味では推薦したい本である。昨年の秋と今年に入ってからと、2回繰り返して読んだが、著者の誠実さを感じさせる名著といってよいだろう。戦後の偏向した歴史教育を鋭く批判しているが、普段歴史など気にかけていない人も、実は、いかにその時代の歴史観に知らず知らずのうちに影響を受けているかがよくわかり、日本の現状を深く認識することができた。人間は未来を見つめながら、時に過去を振り返りつつ、現在を生きる生き物である。諸君には、祖先の歩みの延長線上にある自分を常に自覚して欲しいと思う。これは館長の真摯(しんし)な願いである。

4月号
 大学入試センター模試が2回実施されることになりそうだ。大学入試改革を検討してきた大学審議会によると、受験生の精神的な重圧を和らげるのが目的だという。館長は、この改革案には反対である。大学審議会の委員たちは何か大切なことを忘れてはいないだろうか。そもそも若者を教育する目的は、一体何なのか。一人の人間としての自立を促すことが第一だが、さらに大切なことは、この国の繁栄を託するに値する次世代の国民を育てることである。この競争社会の中で生き抜くには強い精神力が必要である。まして、現代は全地球的規模の大競争時代だ。国際社会から受ける様々な圧力は生半可なものではない。学生は鍛えられなければならないのだ。精神的な重圧をかけることを恐れてはならない。それに耐えられるような若者を育てることが必要なのだ。ジャーナリストの櫻井よし子氏の次の言葉に館長は同意する。「今の若い世代にはもっと緊張感を与える教育が必要なのだ。」

5月号
 十代の若者が犯した殺人事件のニュースが毎日のようにテレビや新聞で報道されている。暗たんとした気持ちになるが、嘆いてばかりではいけない。その原因をさぐり、対策を立て実行し、この状況を打開する必要がある。戦後の日本社会全体の有り様が子供たちの心をいつの間にか荒(すさ)んだものにしてしまったのだろうか。確かに日本は敗戦によって未曾有の混乱に直面したといってよい。戦前の価値観も道徳も家庭もすべてが崩壊したのである。歴史を断ち切り、国民としての誇りも捨て、ひたすら経済復興至上主義に突っ走った戦後社会。バブルの崩壊と共に夢と希望を失った社会は、さらに虚無的な若者たちを増殖させたかもしれない。対策はあるのか。全人的教育の基礎を固める家庭の再生こそが第一になされなければならないことだろう。そしてそれを支える柱として、どうしても必要なのが正しい歴史感覚である。祖先の歩みの延長線上に今、生きているという自己存在の確認といってもよい。歴史を見失った民族は必ず滅びるという。日本が亡国への道を歩まないよう、健全な若者を育てたいものである。

6月号
 イギリスから来客があった。イギリスのウースターにあるセントマイケルズカレッジのジェニン・フォークナー先生が留学生の募集で日本にやってきたのである。この学校は中・高のインターナショナルスクールで、1854年創立の伝統ある名門校である。イギリスといえば、「ハムレット」などのシェークスピアの作品やスチーブンスの「宝島」を思い出すが、とりわけ懐かしいのは学生時代に読んだ「The Three Men in a Boat」(ボートの中の三人男)(ジェローム作)だ。ユーモアたっぷりの船旅日記風の小説だが、今でもこんな旅ができるのか、とジェニンさんにたずねてみた。先日「近日中に資料を送る」と彼女からEメールが届いた。楽しみである。ジェニンさんとは、英文学や英国史が話題となったが、英会話は何といっても積極的な気持ちが第一だと思う。それがあればこそ、館長の下手な発音でも何とかコミュニケーションができたのだ。英語は今や国際語だ。積極的に学ぼうではないか。

7月号
 先日、精神科医で教育問題の著書も多い和田秀樹氏とお話しをする機会があった。塾業界の団体役員の肩書でお会いしたのだが、現在の教育問題について、様々な角度から話し合うことができて、非常に勉強になった。和田氏は、「このままでは日本の繁栄は終わる。学力崩壊は日本の教育界だけの問題ではなく、産業界すべての問題だ。このまま国民の学力低下が続けば、日本は間違いなく三流国家となり、ごく一部の上層知的エリートだけが、まともな生活をしても、他の90%の国民は在日外国人の下働きをするしか生きる道がなくなるだろう。まさに植民地同然となる。それでよいのか。『ゆとり教育』という言葉を誤解してはならない。これは勉強しなくていいということでは決してないのだ。全人教育として知育、徳育、体育のバランスを考えろといっているだけだ。今の若者は、もっとしっかり勉強しないと、将来とんだ目にあうだろう。」とおっしゃった。同感である。勉強はした方がよいのだ。何よりも将来の生活がかかっているのだ。この夏も暑さに負けずに頑張ろう。

8月号
 今年の夏山登山は北アルプスの常念山脈を4泊5日の行程で縦走した。中房温泉から燕岳(ツバクロダケ)に登り、大天井岳(オテンショウダケ)、常念岳、蝶ヶ岳(チョウガタケ)へと縦走し、上高地に下山した。テントを持っての山旅だったので荷物が多く、さすがに最終日には下山途中でひざが痛くなったが、槍ヶ岳や穂高岳の絶景には深く感動した。山は人を哲人にするのかもしれない。下山した時、何か人生がより豊かに感じられた。新たな生命のエネルギーが湧き出てくるのを感じた。雄大な自然に接する時、人はその活力をより大きなものにすることができるのだ。諸君、自然に接したまえ。大自然のエネルギーを吸い取りたまえ。そしてそのエネルギーを勉学の秋に向けて燃やしてほしいと思う。

9月号
 シドニー・オリンピックの柔道が終わった。勝利の感動を味わうと同時に、勝負の厳しさを痛感した1週間でもあった。篠原選手の「幻の一本」の判定は確かにミスジャッジだろう。しかし、審判は絶対であり、ルールはルールである。篠原選手の今後の更なる精進を祈るしかない。審判の能力向上も課題だろうが、何といっても大切なのは、見事な一本を取れる柔道をやることだ。文句の出ない勝利、これしかない。勉強も同じである。見事な合格を勝ち取ろうではないか。そのためには、日々の努力が必要である。お互いに切磋琢磨し、正々堂々と競い合い、目標を達成する。すばらしいことではないか。真の競争精神こそ、人間を向上させ、社会を発展させるのだ。塾生諸君、競争せよ。

10月号
 東経約35度、北緯約32度、今この地、エルサレムに流血の惨事が起こっている。2つの宗教と民族の間にある積年の怨念が激しく衝突し、出口の見えない、最悪の紛争となりつつある。この地はお互いにとっての聖地なのだ。妥協を許さぬ一神教同士にとって、この争いは宿命なのだろうか。人類のDNAはまことに不可解なものである。一方で、オリンピックの聖火の下、世界中の人々が民族や宗教の違いを越えて集い、スポーツの祭典を通して、平和の尊さをうたうかと思えば、一方では、幼い子どもたちまでもが、戦場に身を置かなければならない。何故に戦争はなくならないのか。DNAの研究も,エルサレムには何の役にも立たないのか。人類の英知とは一体何なのだろう。遠く離れた日本列島に住む我々だが、エルサレムも東京も同じ地球の上にある。関係のないことではないはずだ。諸君も考えてみてほしい。どうしたらいいのかと。

11月号
 先日「JFK」という映画の脚本(英語版)を読んだ。アメリカのケネディ大統領暗殺事件を扱った作品である。夜中に辞書を引きながら、かなり苦労して読んだのだが、以前に見た映画の画面を思い出しながら、それでも結構楽しんだ。主人公ジム・ギャリソン地方検事の台詞に、「祖国に何が出来るかではなく、祖国のために何が出来るかを問うていただきたい」という言葉がある。言わずと知れたケネディの就任演説からの引用である。民主主義は国民が主役だ。だからこそ国民1人1人に責任があるとも言えるのだ。諸君はその責任を果たせるだけの一人前の社会人にならねばならない。勉学はそのためにも必要なのだ。 
 (参考) 〜ask not what your country can do for you:  Ask what you can do 
for your country. (ケネディ就任演説より)

12月号
 アメリカの次期大統領がブッシュ氏に決まった。アメリカの大統領選の混迷は、世界の混迷を象徴しているような気もする。代議制民主社会が運営上の行き詰まりを呈していると評する人もいるが、一方ではそもそも民主社会が定着していない国もあるのだ。世界の国々における政治・経済・文化における格差はまだまだ大きい。IT革命は世界を情報の上で1つにしたが、その画一的情報網の下では、価値観の多様性や国家間の様々な格差が拡大しつつある。それだけではない。国連食糧農業機関(FAO)は、食糧不足で栄養失調状態にある人々の数を、全世界で約8億人と推定する。砂漠化も深刻だ。国連環境計画の報告によると、地球上の全陸地の約4分の1が、その影響を受けている。さらに、地球温暖化現象は刻一刻と人類を危機的状況に追いつめている。現状のままでは、2100年の温度上昇は最高6度にまで達するという。3度でも海水面は1mも上昇するという。民族・宗教対立も一向に解決の見通しが立たない。パレスチナもユーゴもチェチェンも、問題解決を21世紀に先送りしている。核軍縮も停滞したままだ。今年の総括は20世紀の総括でもあろう。この人類社会が抱え込んでいる課題は深刻だ。21世紀に希望はあるのか。その幕開けの新年を我々はもうすぐ迎えるのだ。よい年にならんことを、心から祈りたい。

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