館長より、君へ。 【今月の館長の言葉 4】

2001年(平成13年)

1月号
  先日、ほぼ同時に世界で2人の大統領が誕生した。一人はフィリピンのアロヨ大統領、もう一人はアメリカのブッシュ大統領である。アロヨ大統領は、約10万人の市民のデモ抗議を背景に、エストラダ前大統領を辞任に追い込んでの就任。ブッシュ大統領は、あの混迷した選挙を経ての就任。どちらも問題を抱え込みながらの船出となった。フィリピンの難題は貧困層の救済、アメリカの難題は2つに分かれた国民の統合であろう。い一方、我が日本は21世紀を、大学教授や高級官僚の不正というまことに喜ばしくない事件で出発した。理想と現実の差は大きい。諸君が支えるべき21世紀の世界はあまりにも困難な問題が満ち満ちている。しかし、ここで腰をひいてはいけない。自分たちの社会を変革するエネルギーの源は、いつの時代でも若者たちである。諸君の力に期待したい。

2月号
  マケドニアのスコピエで開催されていた南東欧州協力会議首脳会議は23日、ユーゴスラビア・コソボ自治州とその周囲での「民族間の憎悪に起因した暴力行為が地域に拡大するのを防ぐための緊急措置」を強く求める共同宣言を採択して閉幕した。民族紛争はまことに深刻である。昨日の友と今日は殺し合いをするのだ。狂気としか言いようがないが、これが現実の世界なのだ。母親やあるいは父親に付き添われて受験会場に出かける日本の子どもたちは幸せである。受験勉強など苦労でもなんでもない。両親が目の前で虐殺され、自分もまた死ぬほどの苦痛を味わった子どもたちが、世界にたくさんいることを忘れてはならない。諸君は思いきり勉強する事が出来る環境にいることの幸せをかみしめるべきだろう。勉強が大変だ、テストはいやだ、などと甘ったれたことを言うな。勉強できることを感謝せよ。

3月号
  先日、水戸の弘道館へ行った。幕末の水戸藩主、徳川斉昭(なりあき)が創設した文武両道の学校である。北辰館スクールはこの弘道館をj範として設立された。弘道館の正庁南面には「遊於芸(げいにあそぶ)」の額が掲げられてある。斉昭公の書だが、これは「論語」から取った言葉である。「芸」とは六芸のことで、礼(礼儀作法)、音(音楽)、射(弓術)、御(馬術)、書(習字)、数(算術)の六科目のこと。「芸に遊ぶ」とは、学問武芸を悠々楽しみながら学ぶという意味だ。まことに至言(しげん)というべきか。諸君も、勉強を楽しみたまえ。

4月号
  先日、東京で教育シンポジウムがあり、出席した。中曽根康弘元首相が基調講演を行い、教育改革には家庭の建て直しが必要だということや、歴史や伝統・文化などにも真正面から取り組むべきだということなどを語った。共感することが多かったが、一方、2002年度から実施される新指導要領には、心配な点がある。教科内容の削減が余りにも多すぎることだ。このままでは国民全体の学力を下げるような影響を与えかねない。国際競争が激化し、各国が競って国民の学力のレベルアップをはかっている現代、これで大丈夫なのか、心配である。教育は国家百年の大計だ。学力の向上は国家の繁栄に直結している。21世紀の塾の使命はますます重くなったようだ。心して頑張らねば。

5月号
  国会中継の視聴率が驚異的高さを示しているという。政治に国民が関心を示すことは悪いことではない。しかし、新内閣への期待というより、単なる週刊誌的興味からの関心だとしたら、視聴率が低いことよりももっと深刻な政治状況といえるかもしれない。古代ギリシアの民主政治が衆愚政治におちいった愚を繰り返してはならないだろう。国民一人ひとりの自覚のレベルで、その国の政治のレベルは決定される。国民が政治家を選出する以上、それは当然の帰結だ。国民が面白半分でしか政治をとらえないならば、選出される政治家も大衆的人気者しか出でこないだろう。ギリシアはその後、前4世紀、地方のマケドニアに支配されるに至った。国際社会は現代も激しく動いている。日本はどこへ行くのか。いつまでも現在の経済水準を保ち、平和を維持できるという保証はどこにもないのだ。21世紀を生きる諸君の前途は多難である。覚悟せよ。

6月号
  蒸し暑い梅雨が続いている。先日の小学生殺傷事件は、本当に悲惨な事件だった。全国の学校・教育関係者に与えた衝撃は大きい。犯罪防止や安全管理に関して様々な議論が巻き起こっている。我々は今回の事件をどうとらえたらいいのだろうか。これほど、社会的・政治的平和が続き、戦乱もなく、生命の尊さが叫ばれている国で、このような残酷な事件が起こるというのは一体どういうことだろうか。心の荒廃は極に達したかのようだ。経済至上主義で突っ走ってきた戦後の日本は、何か大切なものを忘れているのではないだろうか。豊かな物質文明が一方では荒涼たる精神風土を抱え込んでいるのだ。人間としての正道を取り戻すべきだ。人間にとっての最大の教育の場は家庭である。再び同じような殺人者を出さぬよう真剣に家庭とこの国のありようを考えるべきだ。

7月号
  今月16日、インドとパキスタンの首脳会談が決裂した。カシミール地方の帰属を巡って両国の主張が対立、共同宣言署名は見送られた。米国では今月に入ってからミサイル防衛網の迎撃実験に成功、ミサイル防衛網配備の動きが加速された。一方、自爆テロとその報復攻撃が繰り返されている中東では、イスラエル軍が18日未明、ヨルダン川西岸に戦車、歩兵部隊を集結させ臨戦態勢に入った。人類は21世紀には共生と平和を目指すのではなかったのか。しかし現実は共生どころか、紛争地域はさらに拡大され、紛争の火種は尽きるところを知らない。地球の温暖化もさらに促進され続けている。環境破壊は拡大し、このままでは人類の生活環境そのものが消滅してしまいかねない。人類の英知とは何なのか。人類はどんな道を進もうとしているのか。そして、諸君はどんな目標を定めてこの夏を迎えようとしているのか。暑さに負けずに頑張ってほしい。

8月号
  夏季休暇を利用して、家族で奥穂高岳(3190m、日本第3位)に登ってきた。奥穂高岳はいわゆる穂高連峰の盟主であり、その登山路は峻険な岩稜帯にあり、高度感のあるスリルを味わうことができるが、一瞬の気の緩みも許されないほどの厳しさもある。登山の醍醐味を存分に味わえる山の一つといってもいいだろう。また、穂高連峰の東斜面には日本一大きい涸沢(からさわ)カールが見られる。カールとは圏谷ともいい、氷河地形の一種である。底が丸くくぼんだ地形は、氷河が山体を侵食して作った「つめあと」といってよい。カールの底に位置する涸沢ヒュッテから仰ぎ見た朝焼けの穂高連峰の姿は、神の住む山のような荘厳さを備えていた。自然に接すると人は、自然から何か得体の知れない大きなエネルギーをもらうような気がする。圧倒的な自然の驚異的な力の前に人は誰も自然に対して畏敬の念を覚え、自らは謙虚にならざるを得ない。謙虚さは虚勢を人からはぎとり、自分自身の真の力だけを見つめさせる。そこからの出発こそが人に本物のエネルギーを与えるのだろ。本当の自信もそこから生まれてくる。諸君も自然に接するがよい。そして無限のエネルギーを感得せよ。

9月号 
米国で起こった同時多発テロは、全世界に大きな衝撃を与えた。この原稿を書いている9月24日現在、ペルシャ湾やインド洋には陸海空の米軍が集結しつつあり、軍事行動は不可避の情勢になっている。想像を絶する多くの犠牲者たちのことを考えると、今回の武力行使はやむをえないといえるだろう。国際世論も「テロとの戦い」を全面的に支持している。
しかし、一方では冷静な対応も必要だろう。そもそも今回のテロはパレスチナとイスラエルの民族的宗教的紛争が原因の一つとなっている。さらに、そのより直接的な紛争の理由を求めれば、中東の歴史的経緯はともかくとして、膨大な難民を生む経済的貧困さにたどり着く。端的に言えば、人類社会における富の偏在である。貧困は社会を政治的にも不安定なものにし、不安定な政治は内乱や紛争を引き起こす。それは必然的に難民を生じさせる。そして、難民こそがテロ兵士の温床となっているのだ。自由経済を非難しているのではない。ソ連邦の崩壊は人類に大きな教訓を与えた。だが、経済的貧困地域をなくさぬ限り、テロとの戦いは永久に続くだろう。さらにもう一つ、国際法上の問題もある。国連憲章51条は武力攻撃が生じた場合、例外的に自衛権を認めているが、武力行使は国際法上一般的に禁止されている。米国が軍事行動を選択できるのは、安保理決議によって「国際法廷」を設置し、その上で国連主導の多国籍軍による武力行使を行う場合だけであり、これが国際法上の正しい筋道である。単なる報復攻撃は侵略行為と同じになってしまう。しかし、ここにも問題がある。そもそも「国際法」はその根拠と実効性があいまいであり、法としての強制力には疑問がある。国連の力にも限界があることは言うまでもない。力のある国の考えが国際社会の正義となってしまう傾向が強い。現代の国際社会が抱える難しい問題である。日本は「対テロ戦争」にできる限りの協力を惜しんではならない。しかし、経済問題や国際法上の問題等に対しても冷静に取り組む姿勢を持つべきだろう。地球は今、大きく病んでいるのだ。次代を背負う諸君の英知と行動力に期待したい。

10月号
  ここに1冊の本がある。「風俗・習慣・ものの考え方の違う人たちの中へ入って行って、うまく仕事をすすめるのはなかなかむつかしいものだ。言葉がちがい、宗教が異なると、ますますやっかいになる。(中略)そういう人たちとどんな接触の仕事をすればよいか。それは理論や観念、あるいは単なる善意で片づく問題ではない。やはり具体的な経験の蓄積が必要なのだ。」 これはその本の「まえがき」からの抜粋である。
  アフガニスタンに対する米軍の攻撃が続いているが、今回のテロ事件の背景にはイスラエルとパレスチナ人の対立がある。民族や宗教の対立を解決するためのヒントがこの本に隠されているような気がする。館長は中学生の時、この本を読んだ。諸君にもぜひ読んでほしい。人類に対する視野が広がることは間違いない。著者は梅棹忠夫。「モゴール族探検記」。アフガニスタン国内における人類学的探検の記録である。書かれたのは1956年。こんなすばらしい本が半世紀も前に日本で出版されていたのだ。映像文化は人間に楽しみを与えてくれるが、深い思索をもたらしてはくれない。これをもたらすのは本である。読書こそが人類の英知の源である。読書の秋だ。諸君、本を読もう。 

11月号
  日産のカルロス・ゴーン氏が書いた「ルネサンス――再生への挑戦」を一気に読んだ。1954年ブラジルに生まれ、父はレバノン系ブラジル人、母はレバノン系フランス人。フランスの国立理工科学校及び国立鉱山学校を卒業。78年、ミシュランに入社後、数年でミシュラン・ブラジルのCOO(最高執行責任者)、89年にはミシュラン北米CEO(最高経営責任者)。96年、ルノーの上級副社長。99年6月、日産自動車にCOOとして着任、2000年6月同社社長兼COO。2001年6月より社長兼CEO。ブラジル、レバノン、フランス、アメリカ、日本と、まさに国際舞台での活躍である。ポルトガル語、スペイン語、フランス語、英語を自在に駆使し、今は日本語の習得に力を入れている。経営上の専門的な問題はさておき、諸君に関わりのある話が2つあった。1つは、彼は学生時代に歴史に関する本を手当たり次第に読破したこと。彼の幅広く柔軟の世界観の基礎はこの時代の読書によって築かれた。2つ目は、彼の唱える経営上の第一条件は、なすべきことの優先順位を見失わないことだ。これは諸君の受験勉強にも言えることだろう。諸君の中から第2、第3のカルロス・ゴーンが育ってほしいと思う。

12月号
  今年は漢字で表すと「戦」なのだそうだ。確かに、世界各地の紛争は深刻さを増し、9月に起こった米国における同時多発テロはアメリカ国民に大きな衝撃を与え、多くの地球上の市民を震撼とさせた。民族問題尾も宗教対立もテロ活動も、すべてはまだ解決の糸口すら見つかっていない。アルゼンチンでは経済破綻により大統領が辞職に追い込まれた。高い失業率を示している日本も、社会不安は危険水域に達しつつある。多くの問題を未解決に残したまま2001年は暮れようとしている。2002年はどんな年になるのだろうか。世界中に光が当たってほしい。そして、希望と誇りの持てる日本になってほしい。―――よい年を迎えられんことを。

2002年(平成14年)

1月号
  2002年度から日本の文部科学省は、古今東西の歴史において前代未聞の愚策を実施する。「新学習指導要領」である。同省はこの「新学習指導要領」を「最低水準」と位置づけているが、現在の公立学校において児童・生徒の能力に応じた多様な学習指導を行うことは不可能といってよい。「最低水準」がそのまま「標準」となリ、さらには「最高水準」になってしまうのは時間の問題だ。国民の学力を低下させようとする国が世界のどこにあるだろうか。愚民政策とも言える「新学習指導要領」の実施は、一日も早く撤回すべきだ。私立学校の多くは週5日制を導入せず、土曜日も授業を行い、さらには「新学習指導要領」を無視した学習指導を行うようである。公立と私立の格差は一層大きなものとなろう。文部科学省と日本政府は小・中学生段階での社会的階層分化を画しているのだろうか。学習指導要領は高度なレベルを維持すべきであり、教える体制を一層充実させる方向で教育改革を行うべきだ。民間教育の一翼を担う塾の使命は重い。

2月号
  ソルトレーク五輪がマスコミをにぎわせている。しかし、インターネットのCNNニュースは、イスラエル軍とパレスチナの戦いの模様を連日報じている。日本の各紙からも国際欄を注意深く読めばパレスチナ紛争がますますエスカレートしていることがわかる。イスラエル軍はパレスチナ側に大規模な侵攻を繰り返し、パレスチナ側はイスラエル側への自爆テロや銃撃を続けている。このままでは全面戦争へと発展しかねない。一方では平和の祭典と称したスポーツ大会を開催し、一方では憎しみによる殺戮(さつりく)を繰り返す人類。人間とは一体何なのか。今地球に出現した多くの生命体の中で、これほど同じ種の間で殺し合いをする生物がいただろうか。新聞記事を拾っておく。―――2月17日、パレスチナ側による自爆テロによって、イスラエルの10代の男女2人が死亡、約30人が負傷。2月19日、イスラエル軍が激しい報復攻撃。少女を含むパレスチナ人10人が死亡。そして2月21日、アメリカの16歳の少女がソルトレークで金メダルを獲得した。―――諸君は何を感じるだろうか。

3月号
  今年も無事受験が終了した。中学受験、高校受験、大学受験ともに全員が合格した。特に大学受験では千葉大に現役合格を出した。千葉大合格は2人目である。合格した塾生諸君、合格おめでとう。本当によかった。心からお祝いを申し上げたい。
  さて、新年度の北辰館スクールのキャッチフレーズは「学力増進一直線」に決まった。塾本来の目的を再確認すると共に、国民の学力向上を目指し、一層の努力をしていきたいと思っている。新指導要領の実施は、公立と私立の格差をさらに大きく広げるばかりか、国民全体の学力を大幅に低下させることは明らかだ。20年後、日本国民は2割の知的階層と8割の非知的階層に二極化するだろう。さらに、日本企業の大半は外国人経営者に支配されるだろう。世界中の国々が今、国民の教育水準の向上に全力を尽くしている。国民の学力低下は国際競争力の低下を意味するからである。一国の平和と繁栄は教育によって左右されるのだ。日本はまさに危機的状況を迎えている。今こそ塾はその社会的使命を自覚しなければならない。諸君も心して勉強せよ。

4月号
  新指導要領による「3割削減」と学校週5日制の完全実施による不安が、国民の間に拡大しつつある。公立学校における学力の低下は確実だ。私立と公立の学力差は今まで以上に拡大し、国民における知的水準の二極分化が一層強まると警告している学者もいる。公立校における土曜補習が全国的な広がりを見せているが、それも限界があろう。社会の発展は「上昇志向」を持った若者がどれだけ存在するかによって決まるといっていい。「ゆとり」教育は、人間の豊かな可能性を否定し、努力による精神性の向上を妨げ、つまりは「下降志向」に他ならない。この国は2002年を持って衰亡への道を厚き始めたといえるかもしれない。このままでは、20年後、日本は先進諸国グループから脱落し、社会的活力も失ってしまうだろう。これは全国民的問題なのだ。館長は諸君にはっきり言っておきたい。「学力」は「生きる力」となるのだ。心して学習せよ。

5月号
  5月の連休は雲取山から秩父の三峰神社への縦走コースを歩いた。奥多摩から林道を登ること、約3時間。山の中の三条の湯に到着する。さっそくフロに入って汗を流した。フロの大きな窓から新緑の山々を眺める。最高の気分だ。翌朝は午前4時半起床。5時50分、三条小屋を出発。約3時間で雲取山頂に立つ。標高2017m。百名山の1つだ。雄大な眺めを満喫した後は、秩父の三峰神社を目指して、尾根道をひたすら歩く。約6時間の歩程だ。途中、野性のシカ数頭に出会うというより囲まれる(?)というハプニングもあったが、無事、午後3時50分、三峰神社に到着した。たっぷりの森林浴を楽しんだ2日間だった。心身ともにリフレッシュした。諸君も山に行きたまえ。森の息吹を吸いたまえ。ストレスなんぞどこかへ吹き飛んでしまう。今年も夏季登山・キャンプ合宿がある。今から楽しみだ。諸君の参加を待っている。

6月号
  ワールドカップのために話題性が薄れてしまったが、エルサレムにおけるイスラエルとパレスチナの対立が深刻化している。今月18日に20人が死亡する自爆テロがあり、イスラエル軍はパレスチナ自治区を占拠したが、さらに19日、7人が死亡する自爆テロが起こった。イスラエル軍はパレスチナに対し攻撃を始めている。一方、インドとパキスタンの対立も危険な状態が続いている。カシミール地方の領有権を巡る争いだ。双方が核保有国である点が気がかりだ。現在、カシミールに集結する兵力は、インド側約75万人、パキスタン側約25万人とされている。また、アフリカ南部の深刻な食糧危機も拡大している。この地域全体の飢餓人口は1500万人を越すと見られている。彼らにとってはサッカーボールよりもコップ1杯のミルクが、コップ1杯のスープが必要なのだ。サッカーに夢中になるのもいいが、冷静な国際感覚を見失ってはならない。米国防総省は、インド・パキスタンが核戦争に突入するなら1200万人が死亡、700万人が負傷すると推計しているそうだ。放射能汚染を始め、様々な被害に対する救済手段のプログラムを作成しているという。諸君に言いたい。ゲームもテレビも作られた遊びの世界だということを。現実を直視することを忘れるな。

7月号
  高3生の夏期講習会で使用する英語の長文読解用テキストを予習していて気づいたことだが、題材として異文化の違いを取り扱ったものがいかに多いか。ヨーロッパとアジアの文化の違いは言うに及ばないが、イギリスとフランス、イギリスとアメリカなど、欧米人の間でさえ、様々な文化的違いがある。食事のマナーから政治にいたるまで、その違いはグローバル化が進む現代でも無視できない大事な問題である。文化の違いは単なる興味・関心のレベルにとどまらずに、誤解や偏見、あるいは対立を生み、さらには民族間の紛争や国家間の戦争にまで発展することがある。まして宗教の違いは決定的だ。日本人の多くは宗教的に寛容だが、これは世界的に見て特記するに値する現象である。先史時代以降、様々な文化や人種が流入し混じり合った歴史を持つ、この劣等国家ならではの現象といっていい。一歩、日本から外に出れば、日本人の感覚はまったく通用しない。我々はもっと世界を知るべきだ。外国語や外国文化を学ぶべきだ。グローバル化の進む現代でも、いや、国際交流の盛んな時代だからこそ、いっそう大切なことだと思う。無用の摩や争いを避けるためにも世界中の人々が世界中の文化を学び、理解を示すならば、いつの日か世界は安定を取り戻すだろう。無知と偏見こそは人類の敵である。知識や思考力は我々に「生きる力」を与えてくれるだけではない。世界中の人々の福祉に貢献することにもなるのだ。この夏も大いに学びたまえ。学ぶことからすべては始まるのだ。

8月号
  先日、フランスとルクセンブルクにほぼ2年間にわたってケーキ職人としての修行に出ていた教え子の荒木俊浩君が、帰国報告をするために北辰館スクールに来てくれた。今後は、日本でさらにケーキ職人としての腕を磨き、将来自分の店を持ちたいと抱負を語ってくれた。決して気負うこともなく、淡々と、しかし確固たる不動の信念を感じさせながら夢を語る彼を見ていると、教え子ながら、心からの敬意を表したくなった。自らの足でしっかりと大地に立っている若者の姿を、感じ取った。彼は柔道の門下生でもある。久しぶりに稽古していったが、初段の実力は今も健在であった。ヨーロッパでの修行は自分で決め、何から何まで自分でやったのだという。彼は小・中・高と長く北辰館に通った付き合いの長い塾生の一人である。立派に成長した若者を前にして館長は本当にうれしかった。彼の一層の精進を祈りたい。

9月号
  今月の館長の言葉は気が重い。拉致問題を避けるわけにはいかないからだ。国際情勢に目を向けよと言い続けてきた館長にとって、「同胞の死」というニュースを無視することはできない。一方、アメリカの外交政策も決して単純なものではない。強硬派と宥和派が絶えず権力闘争を続けている。今回の訪朝がそうしたアメリカの外交戦略の影響を少なからず受けていることは確かである。北朝鮮側も同様だろう。拉致問題に対してはきわめて難しい舵取りが要求されているのだ。日本が国際社会の中で平和と安全を、さらには繁栄までも維持していくことは容易なことではない。日本人としての誇りを忘れてほしくはない。まずは世界を知ることだ。21世紀の日本を支える諸君に期待する。

10月号
  P・F・ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」によると、21世紀の社会は従来の予想を超えた異質な社会になるという。そのキーワードは知識である。来るべき社会は知識社会であり、知識が中核の資源となり、知識労働者が中核の働き手となる。しかも、従来以上に高度な競争的な社会となるということだ。同感である。10年後、コンピューターを使えることは常識となり、使えるかどうかではなく、いかに使うか、使って何をするかが問われることになろう。英語はインターネットの地球的規模の拡大によって国際語から人類語となり、地球人は母国語同様に使いこなすことが要求されよう。この歴史的とも言うべき人類社会の大変化についていけない者は社会的経済的に落伍するだろう。勉学こそが日本を救い諸君を支える力となるのだ。人間は向上心を持ち、勉学に励むことが大切だ。知識のない人間には想像力も思考力も応用力もない。知識のない人間に生きる力はない。諸君、1にも2にも勉強である。

11月号
  先日、東京の池袋で塾業界の研修大会が開催された。様々な教育問題が取り上げられたが、急速なグローバル化の中、英語教育の重要性が特に話題となった。ところが一方で、一部を除いて、日本の中学・高校生の英語離れは予想以上の深刻さを示している。これほど英語があらゆる職場で必要とされているにもかかわらず、反比例するかのように学生側では英語学習への意欲が減退している。一体どこに原因があるのか。実は、館長は今回の研修にパネルディスカッションのパネラーの一人として参加したのだが、その原因に対する館長の持論は「人生における向上心と競争意欲の欠如に尽きる」である。来賓席に東京私立中高協会会長の酒井先生(東京女子学院校長)がいらっしゃったが、館長の意見に大きくうなずいていた。戦後の日本社会の温室化現象といってもよい。豊かな社会特有の現象かもしれない。しかし、日本を取り巻く国際環境は極めて激しく動いている。このままでは日本の経済大国としての地位は危ういのだ。国民全体が心して学習することに目覚めなければならない時だ。諸君も目を覚ませ。

12月号
  北朝鮮の拉致問題は日本国民に国際社会の現実を改めて認識させた。戦後半世紀以上に及ぶ一国平和主義は国民の国際感覚をあきれるほどに麻痺させ、国家の自立への道を閉ざしてしまった。国民の大半は米国の核の傘の下、温室社会における経済至上主義に基づく価値観に身も心も翻弄され、人間として国民としての本然の姿を見失っている。温室社会は人を鍛えるという発想を意識の裏側に閉じ込め、多くの軟弱な若者を育ててしまった。いや若者たちばかりではない。依頼心が強く無責任な大人たちも社会のあらゆる場ではびこっている。未来を託すことのできる若者たちの欠如と、大人たちの無思慮な言動は、この国の基軸を揺るがしかねないほどである。日本再生への道は遥かに遠い。しかし、あきらめてはなるまい。希望を失わずに邁進しよう。この日本は我々の国なのだから。―――ブッシュ大統領は先日、湾岸地域への5万人の兵力増派を承認した。米政府は1月下旬にはイラク攻撃への最終決断を下す見込みである。内外の危機をはらんで今年も暮れようとしている。新年にはノーベル賞受賞を上回る明るいニュースを期待したい。よい年を迎えられんことを。

2003年(平成15年)

1月号
  1月21日、米国防総省は空母2隻に対し、ペルシァ湾岸周辺地域への出動を命じると共に、砂漠戦能力に長けている歩兵第四師団を基幹とする陸軍部隊約37000人にも動員命令を下した。これによって大規模空襲が可能な空母4隻体制が整うと共に、イラク周辺の米軍地上兵力は合計18万人以上に達する見込みだ。まさに臨戦態勢である。2月中には攻撃開始となる可能性も高まっている。北朝鮮問題は勿論のこと、今年も多事多難な年明けとなった。しかし、日本国民全般の意識は相変わらず内向きである。国際感覚の欠如と国家戦略への無関心さはあきれるばかりである。いや、だからこそ、自らの国力を低下させるような愚かな教育も平気で実施してしまうのだろう。知的向上心を刺激させないような教育はもはや教育とはいえない。文部科学省はいつから亡国省へと成り果てたのか。教育は国家百年の大計である。年頭に当たり、国民一人一人の覚醒を心から祈りたい。

2月号
  日本画の安田靫彦(ゆきひこ)の作品に「孫子勒姫兵(そんしろくきへい)」がある。「勒(ろく)」とは、馬につける轡(くつわ)のことであるが、ここでは「統率する」という意味で使われている。「勒兵(ろくへい)」といえば「兵を治め整える、あるいは軍隊を統御する」という意味である。因(ちな)みに安田靫彦の靫(ゆき)は矢を入れる器具のことである。古来、日本では武官のことを靫負(ゆげい)と称した。さて、この絵は、呉王の命を受けた兵法家孫子が、宮中の美女を集めて練兵を行ったところを描いている。美女たちは王の寵愛(ちょうあい)を受けている。なかなか孫子の言うことを聞かない。特に、隊長を務めた美女は冷笑を浮かべ、驕慢(きょうまん)な態度をとった。これは彼女たちにとって命取りとなった。ためらうことなく孫子はこの美女を一刀両断したのである。切り殺された美女を前にして、顔色を失った女たちは、孫子の命に整然と従ったという。絵は、女たちを従え冷笑を浮かべた隊長の美女を前にして、剣を抜いた孫子が決然と立っている姿を描いている。孫子の気迫と、弛緩しかん)した美女たちの動きが画面全体に見事な調和を与えると共に、観る者をして覚えず緊張させる作品である。―――諸君、真剣になるとはこういうことである。諸君は孫子の前に立つことが出来るか。

3月号
  先日、元PTA会長という立場で稔台小学校の卒業式に参加した。式の中で、卒業生一人一人が、卒業にあたっての決意や将来の夢について一言ずつ発表した。「プロサッカー選手を目指してがんばります」「看護士になりたいです」「野球選手として活躍したいと思います」「弁護士になりたいです」「英語がぺらぺらになりたいです」等々。元気な声が会場に響いた。夢を持つことは人生にとってとても大切なことだ。特に若者のエネルギー源は夢である。これからはその夢の実現に向かって邁進してほしい。勿論、道は平坦ではない。山あり谷ありだろう。簡単に夢は実現できない。しかし、その努力する過程が人間を成長させるのだ。若いうちの試練はありがたく受け止めて、乗り越えよう。卒業生諸君が不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を発揮することを期待する。

4月号
  先日、柔道の昇段試験を受ける門生たちに形(かた)の指導をした。初段は、手技として浮落・背負投・肩車の3本、腰技として浮腰・払腰・釣込腰の3本、さらに足技として送足払・支釣込足・内股の3本を習得しなければならない。二段になると、上記の他にさらに、真捨身技として巴投・裏投・隅返の3本、横捨身技として横掛・横車・浮技の3本が加わる。形は正しい技の理論を身につけるためには必須の修行であり、試合や乱取ばかりが柔道の練習ではない。しかし、なかなかうまく技が決まらないのだ。何回も何十回も練習しなければ単純な動作でも身につけるのは大変なのだ。勉強も同じだ。基礎的な練習の繰り返しは絶対に必要だ。諸君、心して練習せよ。

5月号
  1938(昭和13)年、太宰 治は三つ峠登山口に近い天下茶屋に滞在、「富岳百景」を執筆した。「富士には月見草がよく似合ふ」の一文は有名だ。先の連休中、館長は今でも営業しているこの天下茶屋を訪ねた。正面には大きく富士山がそびえている。太宰 治もこの富士の姿を見ていたのだ。彼はここで何を考え、何に苦しんでいたのか。「苦しいのである。仕事が、――純粋に運筆することの、そのことではなく、わたしの世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、いわば、新しさというもの、わたしはそれらについて、いまだぐずぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身もだえしていた。」―――人生に悩みはつきものだ。しかし、それを人生のバネとするかどうか、それは各自の心構えひとつだろう。諸君にも様々な悩みがあろう。遠慮なく悩み給え。そして悩みをひとつひとつ乗り越え、成長してほしい。諸君には無尽蔵のエネルギーがあるはずだ。夏に向けて新たなる前進を期待する。

6月号
  先日、佐原の伊能忠敬記念館を訪ねた。50歳で隠居してから、天文学や測量技術を精力的に学んだ忠敬は55歳から日本全国の海岸線を中心とした測量を開始、73歳で没するまでに日本全図の作成という大事業を成し遂げた。更には、地球子午線1度の長さ(地球の周の360分の1)を「28.2里」と算出している。この数値は当時、世界的にも最高水準のものであった。平均寿命が今よりはるかに低かった江戸時代中期のことである。このエネルギーは驚嘆するほかない。このエネルギーはどこから生まれたのだろうか。忠敬の伝記や資料を読んで考えてみたが、やはり若いときからの志ではないかと思う。志あるところ必ず道は開かれ、自ずとエネルギーも無尽蔵に湧き出てくるのだろう。諸君も志を立てよ。忠敬のように充実した人生を生きよ。

7月号
  6月26日(木)、館長は東京の講道館で開催された第5回世界マスターズ柔道大会に出場した。世界38カ国、903名の柔道家が参加する、中高年の世界大会である。日本選手団は287名、館長はそのうちの一人として、60kg以上66kg未満の階級に出場した。ほぼ同じ年齢のロシア,イギリス,アイルランドなどの選手たちと総当たり戦で5回戦った。ポイント制のため、本来ならば1回戦負けで敗退したところが、なんと銅メダルを獲得してしまった。始めはそれがわからなくて妻には携帯でメダルは取れなかったと報告し、そのまま帰ってしまったのだが、後日大会本部から連絡があり、3位入賞を知ったのである。表彰式に出られなかったのは残念だったが、非常にいい経験をさせてもらった。試合後、ロシアの選手と柔道や普段のトレーニングについて話をしたが、館長の10倍くらいトレーニングをしており、頭が下がった。世界の中高年に負けないように、館長もがんばりたい。―――今年も夏がやってきた。暑さに負けずに、知力体力気力を鍛えよう。
 
8月号
  2002年1月〜2月に行われた「全国一斉学力テスト」の結果が同年12月に発表された。94〜95年に行われた前回と比較すると、ほぼ全問にわたって正答率は下回っていた。文科省の責任は重いが、その亡国教育路線に対抗できなかった親や我々教育関係者も反省すべきだろう。アメリカやイギリスでは目下、エリート教育の推進と底辺の底上げに全力を注いでいる。インドでは「2桁の九九」が常識だ。日本は、エリート教育のシステムも構築できない一方で、底辺層をさらに拡大させてしまうという状況に至っている。多くの国民が小中学校時代に身につけておくべき基礎力に不安を抱く状態では、一国の安全と繁栄が保たれることはありえない。将来、どのような職業についても基礎力は絶対に必要である。勉強するということは職業選択の幅を広げると共に、自らの可能性を増大させることに直結しているのだ。断じて勉強すべきである。この夏、諸君はどれだけ真剣に勉強しただろうか。この秋、その成果が問われる。2学期はもうすぐだ。

9月号
  忙中の閑。国立西洋美術館の「レンブラントとレンブラント派」展に行ってきた。傑作と評価されている「夜警」は、縮小された複製画しか見ることが出来なかったが、「悲嘆にくれる預言者エレミア」を始めとする傑作の数々が転じされており、独特の光と陰を強調したレンブラントとレンブラント派の作品を心行くまで味わうことが出来た。彼が活躍していた17世紀のオランダは、東方との海上貿易で巨万の富を集めていた。オランダ語は17世紀における世界の最重要言語の一つであったといってよい。徳川幕府の初期にあった日本でも、オランダ語は西洋文明と日本を結ぶ重要な役割を果たした。しかし、時の流れは世界の勢力図を大きく変えた。20世紀後半から世界の主要勢力の一つとして台頭してきたアメリカは、21世紀に至り、その力を全世界に及ぼしつつある。英語(米語というべきか)は、インターネットの波及効果と相まって、人類史上初の世界共通語としての地歩を固めつつある。我々日本人にとっても、国際社会と対応するためには英語の学習は必須である。母国語としての日本語や日本の歴史や文化をしっかりと学ぶことは勿論大切だが、それと共にコミュニケーションの手段としての英語を習得することが、現代日本の学生諸君に求められているのだ。アメリカが衰亡することがない限り、これは宿命といえよう。覚悟して英語を学びたまえ。

10月号
先日、館長は文部科学省の教育課程課長の大槻氏を訪ねた。11月3日に塾業界の全国研修大会が東京で開催されるのだが、そのパネルディスカッションの打ち合わせを行うためである。大会当日の基調講演はテレビでもおなじみの教育評論家 和田秀樹氏だ。大槻氏はその後に行われるパネルディスカッションのパネラーの1人であり、館長はコーディネーターという役割である。大槻氏は全国の小中高の教育課程の責任者であり、塾人にとってはどうしても意見交換をしたい人物である。打ち合わせでは、新指導要領についてかなり突っ込んだ話し合いが行われた。館長の意見とは食い違いを見せる場面もあり、なかなか面白い意見交換となった。教育は子どもたちの人生を支えるだけでなく、日本の将来にも大きな影響を与える。ゆめゆめおろそかにしてはならない。教育はまさに国家百年の大計である。―――中学校では三者面談の季節を迎えている。北辰館でも連日、保護者との個別面談が行われている。いよいよ受験本番が近づいてきた。未来を見据えて、受験に取り組もう。

11月号
  11月3日、池袋の「かんぽヘルスプラザ東京」で第29回学習塾全国連合協議会研修大会が開催され、盛況のうち無事終了した。館長はパネルディスカッションのコーディネーターとして参加した。「世界に逆行する日本の教育」と題した、精神科医でもある教育評論家の和田秀樹氏の基調講演は、今回の研修大会の「教育改革の実態を検証する」というテーマに相応しいものであり、わが国の教育の問題点を見事に抉(えぐ)り出すものであった。知識社会の到来を前にして、知識習得に向けて教育を立て直そうとしている欧米諸国に対し、知識への蔑視すら感じさせる日本国民の学力意識は、まさに国家の危機といってよい。和田氏のこうした指摘は館長も共感するものである。諸君たちの学習は、諸君たち個々人の社会的能力を高め、人生の幅を広げるだけではない。社会の活性化と繁栄をも約束することになるのだ。心して学習に励んでもらいたい。いよいよ入試直前対策の期間に入る。塾生諸君の一層の向上心を期待する。

12月号
  社会学者、思想家として知られているP.F.ドラッカーの名言集「歴史の哲学」を読んだ。「…主たる資源が知識であることも確かである。…いまや知識は、土地と資本と労働をさしおいて、最大の生産要素となった。…」「知識労働と肉体労働の両方を行なう人たち、テクノロジストこそ先進国にとって唯一ともいうべき競争力要因であり続ける人たちである。」「知識社会としてのネクスト・ソサエティは、組織にとっても一人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となる」―――知識だけでは人間は育たない。競争だけが人生ではない。しかし、ドラッカーの言葉は社会の実相を鋭く衝(つ)いている。諸君の学んでいる知識はここに言う「知識」の基礎となるものである。われわれは新しい時代に適応して生き抜かなければならない。人生とは学び続けることである。―――よい年を迎えられんことを。

2004年(平成16年)

1月号
  養老孟司氏の『バカの壁』に、「ものすごく厳しい先生は、生徒に嫌われるけれど、後になると必ず感謝される」とあった。これは館長も同感である。小・中・高生は自我が確立されていく発展途上過程である。しかし、放っておけば誰でも自然に正しく発展してくれるわけではない。間違いは間違いとし、正しいことは正しいこととして教え、守らせねばならないものは守らせ、やらねばならぬことはやらせ、我慢すべきことは我慢させなければならない。モラルの問題だけではない。勉強も同じだ。正しい学習方法は放っておいて身につくものではない。正しい指導と練習が必要だ。そしてこういった指導は子どもに迎合していては絶対に出来ない。厳格に対応しなければいけない。そうしなければ、子どもたちは正しいとは何なのかがわからず、人としての道も知らず、我慢することも知らず、社会常識も知らぬ、とんでもない人間になってしまう。子どもたちは社会人として立派に活動できる人にならねばならない。大人たちはそのように育てる義務と責任がある。21世紀の日本は教育の世紀とすべきだ。全国民が一丸となって、教育を立て直す時である。塾生諸君も心して館長の教育を受けよ。
  
2月号
  Resolution.――Resolve to perform what you ought ; perform without fail what you resolve. (決断――なすべきことを実行する決心をせよ。決心したことは必ず実行せよ。)――アメリカ独立宣言、アメリカ13州連合憲法などの起草委員として活躍したベンジャミン・フランクリンの言葉だ。先日、彼の自叙伝を辞書を引き引き英語版で読んでいて、これを見つけた。彼は12歳のころから年季奉公に出され、若い時から苦労を重ねた。しかし、後にアメリカ独立の父とも言われるようになった彼は、生涯前向きに人生を生きた人である。不屈の闘志とあくなき向上心がそのエネルギーの源といってよい。「ハングリーガッツ」という言葉は、豊かな経済生活にひたっている諸君には無縁かもしれないが、フランクリンは名声を得、資産となった後も、自らを向上させることをやめなかった。彼の自叙伝は、物語としても面白く、一度は読んでみることをお勧めする。翻訳版でもよい。英語の好きな高校生なら英語版に挑戦してほしい。辞書を片手に読んでみたまえ。彼の人生に諸君は必ず心を動かされるだろう。自分は今、何をやっているのか。このままでいいのか。何をなすべきか。自問自答してほしい。そしてなすべきことを実行してもらいたい。新年度に向けてフランクリンの言葉を諸君に贈る。

3月号
  先日、所用で水戸に行った時、近くの磯崎海岸に立ち寄った。ここには白亜紀(14300万年前から6500万年前まで)の地層が海岸に露出しているところがある。地質学的には有名な場所なのだが、観光的には今ひとつらしく、看板もなかった。数人の子どもがカニを求めてウロウロしていた。砂浜から沖に向かって真っ直ぐに幅5〜6m、長さ30m以上にわたって黒っぽい岩が突き出ている。海面から平均して1mくらいは出ているだろうか。侵食によってゴジラの背のようにギザギザになっていた。ゴジラと言えば、白亜紀は大型恐竜の時代でもある。恐竜の滅びた原因は様々に憶測されているが、6500万年前の巨大隕石の衝突によるものというのが、最近の有力な説である。肥大化した恐竜はすでに衰退期に入っていたという説もある。いずれにしろ、地球は様々な生命を誕生させては絶滅させてきた。人類は種としていつまで生き残ることができるだろうか。高台から眺めた太平洋はどこまでも青く、化学物質に汚染された海であることを忘れさせるが、地球環境の破壊と汚染はとどまるところを知らない。人類文明の英知は環境を最大限に利用することに向けられてきた。しかし、今や環境を守ることに向けなければならない時代が来ている。我々の住む地質時代である新生代第四期が遠い将来、人類の滅亡した時代と言われないように我々は英知を結集すべきだろう。白亜紀の露岩は、波のしぶきを浴びながら、我々に無言の警告を発しているようだった。

4月号
  ローマ帝国史は面白い。先日は、2世紀末から3世紀初めにかけて皇帝の地位にあったプティミウス・セヴェルスの軍制改革について読んだ。彼の行った軍団兵の待遇改善策は、結果的に軍事関係者の一般社会からの隔離と暴走につながったと言われている。善意による政策が必ずしも社会にとって万民の幸せにならないことの例証である。文科省の「ゆとり教育」は青少年の健全育成という善意によるものだったかもしれない。しかしその結果は、学力低下と学習や学力に対する軽視を生み、日本の国際競争力の低下すら危惧されるに至った。来年度から「ゆとり教育」は大きく修正されることになった。当然である。映画「たそがれ清兵衛」の中で清兵衛が娘にこう語っている。「学問をすれば自分の頭でものを考えることが出来るようになる。…考える力があればどのような世の中になっても生きてゆくことできる。」 「ゆとり」などという甘ったれた考え方では世の中は生きていけない。諸君、心して学問せよ。

5月号
  先日、福島県の会津若松市にある「會津藩校日新館」を見学した。日新館は5年の歳月を費やし、享和3年(1803年)に完成した。会津藩の学制改革の中心として、文武両道教育を実践し、優れた人材を育成しようとしたものである。見学した施設は、当時の施設をそのまま忠実に復元してあり、そこで学んだ子ども達の息遣いが伝わってくるようであった。戊辰戦争で散った白虎隊の少年たちも、この日新館で学んでいた。当時の教育の目的や内容は、もちろん、今日のものとは違う。しかし、その教育課程は必修学科、選択式の専門学科、そして必須の武術科と、文字通りの文武両道教育が行われており、個々人の能力によっては、「飛び級」を認めるなど、今日の教育システムにも十分通用するものであった。また、優秀な者には江戸や諸藩への留学制度もあったという。四書五経等の漢学を中心に、書学、数学、天文、医学、そして弓術、馬術、槍術、刀術、柔術、水練等に至る総合教育であった。日新館童子訓に「ならぬものはならぬものです」という一句がある。その教育の厳しさと、そこで学ぶ子ども達の真剣な眼差しを感じる言葉である。諸君は、日新館で学んでいた子供たちに、勉学への真剣さと努力において勝てるだろうか。時の流れを越えて、彼らの精神は生きている。彼らがいつでも諸君を見つめていることを忘れてはならない。

6月号
  テレビのリモコンを操作しなくなって久しい。NHKの朝と深夜のニュースを見るくらいで、テレビをほとんど見ない生活が続いている。ニュースもスポーツ関係はほとんど見ない。大袈裟に言えば、塾を開設して以来25年間、テレビは館長の生活の中にそれほど入り込んではいない。たまにDVDを見ることはあるが、ゲーム類は勿論まったくやらない。ラジオも普段はほとんど聞かない。しかし、新聞は読む。―――テレビとゲームの普及が、人間性を破壊している。思考能力を奪い、情緒を不安定にさせ、キレやすい人間を大量生産している。追い討ちをかけるようにインターネットが拡散した。テレビとパソコンは文明の利器だが、人類の敵でもある。ゲームソフトを作成している友人がいるが、絶対に自分の子どもたちにはやらせないと言う。テレビの娯楽バラエティー番組のプロデューサーをしている兄を持つ友人がいる。彼はその兄から、子供たちにテレビを見せるな、バカになる、と言われたそうだ。諸君、本を読もう。読書は思考力を育成し、情緒を安定させ、感受性を豊かにする。人間教育における最高の教材だ。繰り返して言う。本を読もう。

7月号
  「熊野古道」が世界遺産に登録された。中世以来、紀伊半島の南に位置する熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)に詣でるため、約1000年にわたって多くの人々が歩いた道である。いくつかのルートに分かれているが、どこも豊かな自然が残されている所だ。中でも吉野から入る「大峰道」は興味深い。修験道の修行場として知られてきた道だ。「大峯奥駆け道」ともいう。全長約100km。その踏破はネパールの山岳地帯よりきついと言われている。是非一度は挑戦してみたい所だ。物質文明は自然を破壊することで発展してきた。修験道は自然と一体化することで精神性を高めることを目的とした。豊かな自然は勿論だが、それを支えてきたともいえる精神文化にも注目したい。「熊野古道」の登録が、経済至上主義の現代人が忘れている「心の豊かさ」を取り戻すための契機となることを祈りたい。

8月号
  高校野球にオリンピック、新聞もラジオも連日連夜の報道で賑わっている。先日、館長は全く別の世界にいた。午前4時半。薄暗い登山道をヘッドランプの光を頼りに歩き始める。朝焼けとともに森林限界(=高緯度地方や高山の森林育成の上限)に出る。岩稜帯を登って山頂に着いた。午前7時。至仏山(しぶつさん)の山頂(標高2228m)からは360度の大展望が広がる。眼下には尾瀬ヶ原の全景が横たわっていた。雲ひとつない青空で、風もなく、音もなかった。館長のほかには誰もいない。下山して尾瀬ヶ原を西から東へ縦断し、原ノ小屋に宿をとった。尾瀬ヶ原は無人の原野だった。クマ除けの鈴を鳴らしながら一人で歩いた。翌日は早朝の尾瀬沼の周囲を歩いて回った。ここも静寂が支配していた。―――人は時に世の中の喧騒から離れて自分を見つめることが必要だ。諸君はこの夏、どのような時をもっただろうか。気力を充実させて秋を迎えてほしい。

9月号
  先日、栃木県足利市にある史跡「足利学校」に立ち寄った。創建については諸説あるが、室町時代の1439年、上杉憲実(のりざね)が再興してから発展したと言われている。戦国時代には「坂東(ばんどう)の大学」と称され、1550年にはフランシスコ=ザビエルが日本最大の学校として世界に紹介している。現在は、江戸中期の姿に再建されているが、建物のひとつに「衆寮(しゅりょう)」があった。学生たちが書物を書写したり、生活したりするところである。1つ1つの部屋は狭く、10人も入れば満室状態になりそうで、粗末な机が幾つか並んでいるだけであったが、そこに座っていると、当時の学生たちの熱気が伝わってくるようであった。遠く故郷を離れ、この地で文字通り命がけで学んだであろう当時の若者のエネルギーが、戦国の世を動かしたといっても過言ではあるまい。諸君の学びへのエネルギーは21世紀の日本と世界をどれだけ動かせるだろうか。北辰館の諸君に期待する。

10月号
先日、北海道の札幌で業界の研修があり、経済産業省商務情報政策局の福永哲郎氏や衆議院議員で文部科学大臣政務官の下村博文氏らと親しく意見の交換をしてきた。我々に共通していたのは、子どもたちの学力低下による国力低下という危機意識である。アメリカやイギリス、それに中国では政権交代が行われても、教育改革だけは一貫して推し進められており、国力の増強や産業発展のために莫大なエネルギーを教育に注いでいる。先進諸国の中で日本だけが時代の流れに逆行した「愚民化政策」を継続している。とんでもないことである。知識の定着もさせず、競争原理も積極的に導入せず、基礎計算の練習すらまともに行われていない。このままでは日本の経済は破綻し、国民の大半は難民と化すだろう。勉強することがどうして遠ざけられてきたのだろう。戦後の日本社会全体の問題として大人たちも反省すべきだ。学力増進こそが日本の未来を約束するのだ。

11月号
  現代の世界は、3つのグループによって構成されている。第1グループは民主主義と市場経済がほぼ確立している国々。第2グループは政治的にも経済的にも近代化の途上で、国民国家建設が進行している国々。第3グループは主権国家が形骸化し、最低限の社会秩序すら維持することが困難な国々。第1グループ内では国家間戦争の可能性は少ないが、第2グループではまだ大きい。第3グループに至っては、敵も味方も区別がつかない混沌とした状況が続いている。しかし、2001年9月11日、第1グループの中核であった米国を第3グループに根拠地を持つテロリストが攻撃したことによって、世界システムは大きく動揺し、3つのグループは深刻な相互作用を展開しなければならなくなった。ブッシュ氏の再選はそれを象徴している。第1グループに位置しながらも、第2、第3グループと深く関わらざるを得ない日本は、今後複雑な外交的舵取りを求められるだろう。新たな人材が必要だ。日本の将来は諸君の力にかかっていることを自覚してほしい。しっかり勉強してもらいたい。  
(フォーサイト誌12月号掲載の東京大学教授田中明彦氏の論文を参照しました。)

12月号
  「来年のことを言えば鬼が笑う」といろはがるたにもあるが、酉(とり)年はいかなる年になるだろうか。今年は地震、台風と大きな災害が続いた。日本列島の地質学的あるいは地理的環境から言えば宿命なのかもしれないが、被害の大きさを考えれば、宿命論的に片付ける訳にはいくまい。将来起こるであろう天災に対して被害を最小限にするためにはどうしたらよいのか。現代文明の力が今問われているのだ。人類全体を何度も滅ぼすことのできる核兵器を保有しながら、台風一つ止める力を持たない現代科学とは一体何なのか。貧困や難民問題を解決できず、テロの横行を許さざるを得ない国際政治は、過去数千年に及ぶ人類の歴史から一体何を学んだのか。混沌たる世界の惨状は目をおおうばかりである。希望をどこに見出したらいいのか。答えは1つしかない。それは、諸君である。子どもたちこそ人類の未来を支える光であり、希望である。諸君の日々の学びこそが人類を救うことになるのだ。これは館長の真剣な期待でもあり祈りでもある。鬼が笑うことではない。あらゆる災害、あらゆる戦争、あらゆるテロの犠牲者に対して合掌。---良い年を迎えられんことを。

2005年(平成17年)

1月号
  2005年2月から、「京都議定書」が国際条約として発効される。この条約は地球温暖化防止に向けて1997年、京都で開かれた国際会議で採択されたものである。二酸化炭素、メタン、フロンなどの温室効果ガスが増えると、地球の温暖化が進み、極地の氷が溶けて海面が上昇したり、内陸部が乾燥化、砂漠化するなど、人類にとっては勿論、地球の生物全体にとっても大きな脅威となる現象が起こる。天候不順や病害虫の増加による農作物の激減やマラリヤなどの熱帯性伝染病の増加、さらには熱帯性低気圧の多発による洪水や高潮など、予想される被害は甚大だ。このままでは21世紀末には二酸化炭素の濃度は現在の倍以上になり、地球の平均気温は1.4℃以上高くなる。温暖化による被害の予想は確実に現実化しつつあるのだ。しかし、二酸化炭素排出量世界一の米国が、この条約に反対しているばかりでなく、排出量第2位の中国も発展途上国のため削減義務がない(核保有国なのに発展途上国扱いされるのは疑問だが、様々な政治的配慮があるのだろう)。地震も津波も大きな被害をもたらすが、温暖化を防止しなければ地球全体の環境変化が人類を滅ぼしかねないのだ。経済発展と環境保全は両立し得ないのか。両立させるためには、いかなる方法があるのか。我々自身の生き方や価値観が根底から問われていると言ってもよい。諸君の日々の学びが、やがて人類を救う道を切り開く力となることを期待する。

2月号
  北辰館柔道場の門生の1人であるゲオルグ・ウェンガー君が日本人の女性と結婚した。彼はオーストリア国籍だが、母親は日本人である。先日、結婚披露宴があり、館長は新郎側の友人を代表して挨拶に立った。お祝いの言葉は日本語と英語とドイツ語で、その後は英語をところどころ交えて日本語でスピーチした。その中で、柔道精神を表現した「精力善用」「自他共栄」を"Make good use of your energy.""Share the prosperity."と英訳したが、多くのオーストリアの方がうなずいてくれた。また、柔道場に掲げてある「五省」を、以下のように英語で紹介したが、オーストリアの人たちはかなり共感を抱いたようだった。ちなみにこれは、日露戦争の日本海海戦において日本海軍を大勝利に導いた、連合艦隊司令長官東郷平八郎の言葉である。
一つ、至誠にもとるなかりしか。 Never leave the way of truth.
一つ、言行に恥ずるなかりしか。 Always be careful in your speech and behavior. 
一つ、気力に欠くるなかりしか。 Never lose your spirits. 
一つ、努力にうらみなかりしか。 Exert yourself. 
一つ、不精にわたるなかりしか。 Never be lazy or weak to yourself.
今回の披露宴は、英語やドイツ語が飛び交う国際的な雰囲気であった。館長も下手な発音ではあったが、オーストリアの青年たちと英語で大いに会話を楽しんだ。それにしても外国語の勉強は大切だ。特に英語は現代の国際共通語といってよい。ドイツ語を母国語とするオーストリア人と、日本語を母国語とする日本人が、英語でコミュニケーションできるのだ。君たちも世界の人たちと話しをしてみたくはないか。まずは日々の英語の勉強に励もう。

3月号
  先日、塾業界の研修で銚子に行ったとき、近くの屏風ヶ浦に立ち寄った。ここには200万年前からの地層が、海岸線に沿って高さ数十メートル、長さ10キロメートルほどにわたって垂直にそそり立っている。6000年前の海岸線は現在より4キロメートルほど沖にあったが、波で浸食され、今日ある場所まで後退したのだという。これは、約1万年前に氷河時代が終わり、気候は温暖となり、海面が上昇してきたのと符合する。当時は縄文文化の時代だ。縄文人は、海面の上昇する環境にどう適応したのだろうか。現代人は自ら招いた温暖化現象による海面上昇に直面している。人類は古代人より進歩したと言えるのだろうか。「人類の英知」という言葉があるが、「人類のおろかさ」を我々は認識すべきなのではないだろうか。――海面上昇と言えば、面白い本を紹介しよう。ウィリアム・ライアンとウォルター・ピットマンという2人の海洋地質学者の共著による「ノアの洪水」という本だ。旧約聖書の「大洪水」を最新科学を駆使して検証したものだが、1万年前から始まった温暖化による世界的海進現象が、洪水伝説の源となったらしい。当時の状況が完全に解明されたわけではないが、興味深い話である。繰り返して言いたい。現代の海面上昇は人類が自ら招いたものである。1万年後の人類にその愚かさを笑われないように我々は対応すべきである。

4月号
  米軍の武力介入作戦のシミュレーション用に作成されたいくつかの世界地図がある。ペルシャ湾岸、カスピ海、南シナ海の詳細図、さらにホルムズ海峡、マラッカ海峡、マンデブ海峡、スエズ運河、ボスポラス・トルコ海峡、パナマ海峡の拡大図だ。これらは何を意味しているのか、おわかりだろうか。石油産出地域と石油タンカーの通路である。この地域に紛争が起きてタンカーの通行ができなくなれば世界中へのエネルギー供給がストップし、世界は大混乱となるだろう。21世紀にはエネルギー争奪戦争が起こるとも言われている。日本はほとんどの石油資源を中近東に依存している。中近東の政治的安定は日本の死活問題だ。国家戦略として日本はエネルギー問題をどう捉えているのだろうか。日本の安全保障政策を見ても、具体的な対策はほとんど採られていないと言ってもよい。まことに心もとない気がする。資源の乏しい日本にとって、唯一頼みとなる資源は人的資源だ。言うまでもなくそれを支えるのは教育である。欧米諸国でも国家戦略として教育改革を行い、国民の学力アップを図っている。国際競争社会において落伍しないためにも、国民の学力アップは必須である。諸君の日々の学習はこの国を支える大きな柱の一つなのだ。心して勉強せよ。

5月号
  先日、所用で京都の宮津に行った。若狭湾に面した港町である。森 鴎外の小説「山椒大夫」に出てくる汐汲浜(しおくみはま)(安寿が潮を汲んだとされる浜)はここから東へ7kmほどの所だ。伝承によれば、丹波の「三庄太夫」は金の鉱山を見つけて富を築き、この由良(ゆら)の地で製塩業を営んだという。古代の日本では、日本海側こそが表玄関であり、関東地方などは後進地域といってよかった。宮津から小さな湾を隔てた向かい側には天橋立(あまのはしだて)が横たわり、その北に広がる丹後半島には浦嶋太郎伝説を伝える宇良(うら)神社もある。この日は、天橋立から宇良神社まで足を延ばして、神社の宮司(ぐうじ)である宮嶋氏より話を伺った。古来、この地は大陸からやってくる渡来人との交流が盛んだったという。縄文文化と弥生文化が激しくせめぎあったところだといってもいいだろう。伝承が多いということは、人々の交流が多かったことを物語っている。時は流れて、今の日本列島では太平洋ベルト地帯に人口が集中している。遠い将来、この地からはどのような伝説が生まれているだろうか。環境破壊によって都市文明が崩壊するような伝説だけは残したくないものである。――あわただしい毎日だが、時には古代から連綿と続く列島人の営みの延長線上にある自分自身を意識してみるのもいいだろう。明日へのエネルギーはそこから発するのだ。

6月号
  先日、塾団体主催の研修で文部科学大臣政務官の下村博文氏の話を聞く機会があった。構造改革特区による学校の実態とその意義、教育財政の側面からのバウチャー制度、保護者や地域が学校運営に参画するコミュニティー・スクールの制度化など、民間と官との共同による教育改革の動きについて報告があった。また、イギリスやアメリカの教育改革の実情にも話が及んだ。教育に前向きに取り組もうとする官の姿勢は評価できるところもあったが、何よりも肝心な子供たちの学力低下に対する施策に関しては、まだまだ心もとない感があった。基礎学力をつけるには、小さなときから基礎鍛錬を算数でも国語でも毎日しっかりやる必要がある。人間教育の場としての家庭の再生も必要だ。しかし、これは、社会全体が教育や学力向上に関心を持ち、協力する姿勢がなければならない。しかも社会は日々変化し、子どもたちも日一日と成長していく。このままでは危機的状況は拡大するばかりだ。教育改革の大切さとその難しさを改めて強く感じた一日であった。館長としては、日々の授業に全力投球するしかあるまい。夏期講習会も近い。この夏をどう過ごすか。塾生諸君一人ひとりの決意をうながしたい。

7月号
  先日、来年以降の夏季登山・キャンプ合宿の下見で尾瀬に行った。10年以上も前にここで合宿したことがあるが、そのときに尾瀬沼周辺しか歩かなかったので、今回は尾瀬ヶ原から入った。鳩待峠から山の鼻に出て、ニッコウキスゲの大群落の中を西から東へ尾瀬ヶ原を縦断し、原ノ小屋に泊まる。この裏手にはテントサイトがある。次の日は午前4時に起床し、直ちに燧ケ岳(ひうちがたけ)(日本百名山、東北最高峰)の登山道に向かう。登り約4時間のコースを2時間10分で踏破。午前6時半には2356mの山頂に立つ。ここから眺める尾瀬ヶ原と尾瀬沼の展望は絶景と言ってよい。但し、尾瀬沼に向かう下山道はぬかるみの続く悪路だった。とても初心者の小中学生を引率して来られる場所ではない。この道は合宿コースから除外するほかないだろう。しかし、下山してから大江湿原で見たニッコウキスゲの大群落は、圧巻の一言だった。大地がどこまでも、きらめくような緑と太陽の光を受けてオレンジ色に輝く花で埋め尽くされていた。―――尾瀬の環境がどのくらい汚染されつつあるのか専門的なことはわからないが、奇跡とも言うべきこの自然だけは、できるだけこのまま残さなくてならないと心から感じた。―――さて、夏期講習会の季節を迎えた。館長は大自然の息吹を全身に浴びて、気力、体力ともに準備万端である。諸君はどうだろうか。ぜひとも充実した夏にしてもらいたい。

8月号
  お盆休みは北東北に行った。JR青森駅からバスで20分。三内丸山遺跡を見学する。ここには、縄文時代前期から中期(約5500年前〜4000年前)の大集落跡がある。30haの公園のうち24.3haが特別史跡である。これまでの調査で550棟以上の竪穴住居跡が確認されている。特に直径約1mのクリの柱6本で造られた大型掘立柱建物跡は有名である。広大な敷地に10数棟の竪穴住居や高床倉庫が復元されているが、想定復元されたこの大型掘立柱建物は圧巻である。この巨大な構造物の用途は諸説あり、定まってはいないようである。館長は宗教上の施設ではないかと思ったが、とにかく大きく、威容である。縄文人のエネルギーがそこに集約されているような感じがした。狩猟採集の獲得経済だけではなく、原始的とはいえ、農耕という生産経済をも内包していた縄文文化。その実態は我々が想像していたよりもはるかに豊かな生産流通社会であったようだ。数千年前にタイムスリップしたような遺跡の中に立っていると、当時の縄文人に囲まれているような錯覚を覚えた。これらの人々の営みが現代の日本の礎となったのだ。はるかな時の流れを遡(さかのぼ)って、遠い祖先の人々に思いをはせるのは大切なことである。我々の現代生活は歴史的時空を離れては決して存在し得ない。歴史を学ぶことは、現代を理解し、未来を洞察することである。縄文人の暮らしぶりから我々は何を学び、これからどう生きていけばいいのか。諸君も考えてほしい。なんといっても諸君こそが次代の日本を、世界を、背負っているのだから。

9月号
  先日、国際情勢のサイトにロンドン発の興味深い記事を見つけた。EU問題である。単一通貨ユーロを導入し、25カ国までに拡大してきたEUは、今や経済力においては米国と肩を並べる、いわば「ヨーロッパ合衆国」といってよい存在である。そのEUに対し、イギリスのブレア首相は新たな改革案を投げかけている。「国家からの補助を廃止し、サービス分野の自由化を進め、雇用市場を流動化させる」というものである。官から民へという社会的潮流は日本だけではないようだ。いや、こうした民間へのパワーシフトがこれからの国際社会の目指す方向なのだろう。アメリカ社会学会の重鎮であり、ホワイトハウスの政策決定に大きな影響を与えてきた、アミタイ・エツィオーニはその著書「ネクスト」の中で、「国家と市場とコミュニティーを均衡させる」ことがこれからの人類の進むべき道だと説いている。しかし、国家の関与が弱まると、一般的に労働者の解雇が増え、労働時間は増える傾向がある。警戒を要する点だろう。日本の教育界も官から民への方向性を示しつつあるが、公立の中高一貫校の創設など、官側からの巻き返し現象も見られる。官と民との対立と協調こそは永遠の課題なのかもしれない。しかし、制度やシステムがどう変わろうと教育は学生一人一人の努力次第である。未来を洞察しつつも、それに振り回されることなく、しっかりとした基礎学力を固めてもらいたい。諸君の日々の努力に期待する。

10月号
  今月は1冊の本を紹介したい。「DNAの時代 期待と不安」(大石道夫著、文春新書)である。遺伝子は化学物質DNAより成り立っている。この遺伝子の総体をゲノムという。つまりヒトゲノムとはヒトの遺伝子の総体である。現代では、ヒトゲノムの解読が完成し、あらゆる分野において遺伝子工学が影響を及ぼしつつある。農作物の改良や病原菌の解明、さらには遺伝子治療による遺伝病の根絶、また親子鑑定、犯罪捜査といった法的社会的分野にまで革命的変化をもたらしつつある。しかし喜んでばかりはいられない。科学技術の発展が核兵器などの大量殺戮兵器を生み出したように、DNA研究にも危険な一面がある。生物兵器の開発は勿論だが、もっと深刻なのは、遺伝子操作によって優秀な遺伝子をもたされたクローン人間の出現が新たな階級社会を形成するのではないかという懸念である。階層間の流動性が人間社会の活性化を支えてきた。その流動性が否定され階層が固定されるとしたら、人間社会は内部から崩壊するのではないか。著者大石氏はそんな警鐘を鳴らしている。ヒトゲノム研究の負の側面をいかにコントロールするか、考えさせられる問題である。結局、人類は学習によってその英知を磨き続けなければその存続すら危うくなるということだろう。DNA研究を人類の繁栄に役立たせることができるかどうかは、諸君の科学的認識のレベルによって左右されるのだ。心して学習すべきである。諸君の日々の学習こそが人類を未来の繁栄へと導くのだ。

11月号
  地球の人類社会における食糧と財力とエネルギーの偏在は、まさに危機的な深刻なレベルに達している。「世界がもし100人の村だったら」という本には、「20人は栄養が十分でなく、1人は死にそうな子供です。でも15人は太り過ぎです」「すべてのエネルギーのうち、20人が80%を使い、80人が20%を分け合っています」とある。平均的な日本人は、もちろん「持てる側」に入ろう。自由な経済活動は、必然的に経済的な格差を生み出すが、一方、社会に活力を生み出し、社会を進歩発展させる。これは否定できない。しかし、危険な水準に達した富の偏在は修正されなければならないだろう。自由、平等、友愛の旗を掲げるフランスで起きた大規模な暴動事件も、富の偏在による社会不安が一因であるといってよい。しかし、富の平等な分配は真の解決にはならない。社会的活力を喪失させ、競争意欲のある者からの新たな不満を醸成させるだけである。ではどうしたらよいか。学問しかあるまい。教育にこそ人類の未来がかかっている。正しく豊かな知識と柔軟な思考力こそが、富をバランスよく流動させる社会を構築することができるのである。真の学問は他を利する精神を育むものである。学問ある者は富を獲得しても社会への還元を考えるものである。理想論かもしれない。しかし、よりよい社会の実現に向けて我々は努力すべきである。

12月号
  先日、日本野鳥の会が主催する探鳥会が紅葉に染まる高尾山で開催された。野鳥観察では入門レベルの館長は、一般の部として参加した。総勢60名ほどだろうか。ベテランの人たちは声を聞くだけで鳥の種類は勿論、数までもわかってしまう。こちらは双眼鏡で姿を確認することすら容易ではない。会としては3時間ほどで29種類の鳥を確認したのだが、館長が姿を確認できたのはヤマガラ、メジロ、ヒヨドリなど数種類のみだった。鳴き声にいたっては、何がなにやら皆目検討もつかない。シジュウカラ、ミソサザエ、ウグイス、アオジ、キクイダタキ、ヒガラ、ルリビタキ、エナガなど、たくさんの野鳥が生息していることを知ってこの自然環境は大切に守っていかなければと感じた。人間社会では人心の荒廃がすさまじいまでに進んでいる。モラルは低下し、いや崩壊しつつあるといってもいい。あの野鳥たちはこの人間界の有様をどのように見ているのだろうか。生物ピラミッドの頂点に位置している人間には、それにふさわしい生き方が求められていいはずだ。来年こそ覚醒の始まりとしたい。―――よい年を迎えられんことを。

2006年(平成18年)

1月号
  ライブドアの堀江氏が逮捕された。どのような違法行為が行われたのか、その真実は今後の捜査の進展によって明らかにされていくだろう。現代社会の最先端企業と言われている会社が起こした事件だけに、今後の動向に注目せざるを得ない。IT革命と経済至上主義が社会へ与えた影響を改めて考える必要があるのではないか。モノと金を至上のものとして拝む社会が存続する限り、この種の犯罪は将来も繰り返されることだろう。小泉首相の施政方針演説の中に、「今後の日本を支えていくのは『人』であります。『物で栄えて心で滅ぶ』ことのないよう、新しい時代を切り開く心豊かでたくましい人材を育てていかなければなりません。」とあったが、教育によって物と金に心奪われることのない人材を育成することが今後の日本社会全体の課題だろう。真の知性とは「人の道」を支えるものでなければならないのだ。年頭にあたり、これを諸君へのメッセージとしたい。

2月号  
荒川静香選手の金メダルに日本全体が拍手喝采(かっさい)した。メダル獲得予想に狂奔したマスコミに反し、当の本人はメダルを意識せず、無心の境地で自己ベストをめざしたという。無欲の勝利である。しかし、高得点を挙げるための努力と工夫は人後に落ちぬものがあったであろう。挫折を乗り越えるための苦しみがあったればこその cool beauty であり、それは彼女の人間的成長をうかがわせるものでもある。無欲と言っても向上心を持たぬことではないのだ。世間的な名誉名声にとらわれずに信ずる道を突き進むことであり、そのためには全力を尽くすべきである。この積み重ねこそが高みの境地に至る唯一の道である。剣の達人と言われた宮本武蔵はその著「五輪書」で、「兵法の道においては、たとえ戦闘の場合にも心の持ち方は平常の際と変わってはならない(現代語訳) 」と平常心の大切さを説いているが、言語に絶する過酷な修行があったればこその言葉であろう。また、氷上でジャンプをしたとき、その後に続くジャンプの内容を瞬時に変更した彼女の境地は、武道の達人と同じである。武蔵や柳生但馬の師であった沢庵(たくあん)は「不動智神妙録」で、「無心の境地になれば、どんな状況にも対応できる(現代語訳)」と説いている。荒川選手はまさに現代における氷上の達人と言うべきだろう。諸君は彼女の努力を範とし、勉学に励んでほしいものである。

以上。

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