館長日誌 1999年 1〜2月

2月27日(土)

塾や学校の先生、及び保護者による教育問題に関する討論会に参加した。学校の改革は自ずと限界があること、塾をはじめとする地域社会や家庭における教育力の強化への期待などが話題となった。特に家庭における健全な教育の崩壊は深刻な問題として受け止められた。家庭の教育力の復活は日本の将来を左右する重要な課題であろう。ある塾長が、「もう、今の中学生には教えたくない。ほとんどの生徒が学習意欲を持たずに通塾している。態度も悪く、授業が成り立たないこともある。」と嘆いていたことが心に残った。このままでは確かにこの国は危うい。

2月26日(金)

昭和11年2月26日、皇道派の一部陸軍青年将校が、約1400名の兵を率いて首相官邸、警視庁などを襲撃、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らを殺害するに至った。二・二六事件である。国家改造、軍政府樹立を目的としたこのクーデタは失敗し、鎮圧されたが、以後、軍の政治への介入が顕著なものとなった。歴史的教訓としてこの事件を忘れてはならない。大切なことは、軍に対するシビリアンコントロールを確立することである。それには政治家は国家の安全保障に対して、確固たる信念を持たなければならない。これなくして軍人を統制することはできない。今の日本の政治家にはこの信念があるだろうか。兵士たちは命を懸けて国のために戦うのだ。命懸けである以上、自分たちが命を懸けることの意味と目的が明確でなければならないことは当然であろう。政治家が責任逃れのいい加減な態度を続ければ、軍事クーデタはいつの時代でも起こるだろう。政治家も国家のために命を懸けるべきだ。私利私欲にはしってはならぬ。しかし一方では、その政治家を選び育てる国民にも責任はある。選挙のたびに有権者に対して耳触りの良い公約ばかり並べ立てる政治家を選んではならない。戦後の占領軍によるマインドコントロールからいまだに目覚めていない、平和ボケの、外交音痴の政治家が多すぎる。彼らはただ平和と福祉、それに景気回復を叫んでいれば選挙で票が取れると思っているのだろう。偽善者もいいところだ。国家の行く末など微塵も考えてはいない。しかし選ぶ方も選ぶ方だ。拝金主義もいい加減にしないと国が滅びることがわからないらしい。困ったものだ。このままでは国民一人一人を啓蒙しなければならない。同志よ、力を貸して欲しい。出でよ、憂国の士。

2月25日(木)

国公立大学、千葉公立高校の入試が今日から始まった。地元の各中学校の学年末テストも一斉に始まった。塾生一人一人の合格を、あるいは好成績を祈りたい。来週の3月1日からは一息いれる暇もなく、新学年度がスタートする。この時期は、入試直前対策と学年末対策、さらに新学年度の準備を同時にやらなければならない。塾の先生にとっては年間で一番忙しい時だ。合格目標達成に向けて全力を尽くしながらも、新入塾生の募集にまで気を使わなければならない。とにかく大変な時期である。と言う事で今日の日誌はこれまで。ご勘弁のほどを。

2月24日(水)

教育問題を研究しているグループから、討論会への参加案内がFAXではいった。今回の公開討論会では不登校児に対する対応がテーマだということだった。早速連絡を取って参加することにした。当塾でも過去何人もの不登校児を扱ってきた。ほとんどが、学校へは行かないが、塾には来るというタイプで、成績も悪くなく、まじめなタイプの生徒が多い。中には、保健室登校、あるいは相談室登校はしても教室にだけは絶対に入らないと言うタイプもある。こういう生徒が増えてきた原因は色々あろうが、集団生活への適応能力の低下と、いじめの増加と陰湿化を挙げる場合が多い。確かにそれは一面の事実であろう。しかし、根はもっと深いところにあるような気がする。戦後の日本文化の価値観がそれである。今は詳しく論じる暇がないので次の機会に譲るが、今度の討論会ではその視点からも討論してみたい。

2月23日(火)

地元学区の小中学校の校長、PTA会長、PTA役員に対する講習会があった。テーマは「青少年犯罪について」である。松戸警察から担当官がきて講義をしてくれた。私は地元小学校のPTA会長という立場で出席した。いろいろ勉強になったが、結論的なことを言えば、非行の芽は、親や大人に対する偏見や信頼関係の崩れからくるものだということである。家庭という教育の場がいかに大切か、また地域社会のコミュニケーションがいかに大切か、ということである。また、担当官は戦後の日本社会の価値観の混乱やあいまいさにも言及した。同感である。こどもたちの個性や人権を尊重することと、こどもたちを甘やかすこととは違うのだ。どうもこのあたりを理解できない大人たちがいるから困るのだ。子供が産まれたら、その両親に対して国が子育て教育を行うようにするのも、一つの案だと思う。勿論、国としての有り様を正すことは、何度も繰り返しているように、現代日本のあらゆる問題を解決するための絶対条件である。教育問題はなかでも国家百年の大計の根幹である。日本人全員が関心を持つべき問題だ。この思いを全国民に訴えたい。

2月22日(月)

中3の英語で、長文読解問題を集中講義した。塾生たちも真剣で、正答率も高く、授業としては、十分満足のいくものであったが、一つだけ気になることがあった。英語ではない。日本語である。内容的には、一応正解なのだが、どうも訳の日本語が変なのだ。以前から承知していたことではあるのだが、今更ながら国語の重要性を感じた。文章を読んでいないことが、最大の原因なのだろうが、どうしたらよいのか。考えると頭が痛くなる。小学校の教育課程に論語や古典などの素読を課したらどうだろうか。名文の暗唱も必要だろう。何をもって名文とするかは見解の分かれるところだろうが、漢文や古典から選べば問題ないはずだ。古文と現代語は違うのは確かだが、民族的な言語感覚を学ぶにはこれが一番ではないか。これに関して、一言、どうしてもいいたいことがある。現行の日本国憲法の前文の文章は何とかならないだろうか。あれほど翻訳調で読みづらい文もない。駄文も駄文、読むに耐えない。憲法の前文は日本の伝統文化の粋を凝縮したような、最高の名文で書かれて欲しいものである。もっとも、私も法学部出身だから、法律の文章における制約が理解できないわけではない。それにしてもである。一日も早く自主憲法が制定され、この国が真の独立国家になると共に、美しい日本語で書かれた憲法を胸を張って堂々と読みたいものである。

2月20日(土)

3月からの新中2生がはいってきたが、英語の遅れが大きいため、さっそく、補習特訓を始めた。幸い、本人に意欲があるために、何とかなりそうだが、なぜ、これほどになるまで、そのままにしておいたのか。意欲があるなら、もっと早い時期に手を打てばよかったのにと思う。本人との面談で得た情報では、学校で真面目に授業を聞こうとすると、まわりからいじめられるので、そのうちばかばかしくなってきて、勉強をしなくなってしまった、という話だった。全く、驚くべき話である。一体全体、今、学校はどうなっているのだろうか。政府はこの実態をどこまでわかっているのだろうか。問題である。

2月19日(金)

中3の直前特訓の理科で、圧力、電流、運動、仕事、エネルギー、などの計算問題を総復習した。毎年、この分野が苦手の塾生が多いので、覚悟して臨んだが、意外や意外、予想以上によくできた。ありがたい。結局、夏期講習会の成果だと確信した。完全個別で徹底的に問題演習を繰り返したのがよかったようだ。1題1題、確実に自力で解けるまで指導したのは正解だった。要は確実な問題演習なのだ。この鉄則はやはり絶対である。

2月18日(木)

受験クラスの小4の算数に反省すべき点があった。文章題のまとめで鶴亀算、時計算、流水算、相当算、分配算を復習したのだが、どうも理解させるのに予定外の時間がかかった。原因はこちらにある。もっと、適切な例題を豊富に用意しておけばよかったのだ。昨年まではそんなに気にするほどのことはなかったので、従来の教材で準備したのだが、甘かった。復習なのに基本がまだ理解しているとは言い難い塾生がいたということは、こちらの責任は重大である。最初に教えた時の小テストでチェックしていたはずなのだが、見落としていたか、あるいは問題が適切ではなかったか、いずれにしろ、指導の流れや教材を総点検しなければならない。単純に忘れただけと言う塾生ならば、まだ対処は簡単だが、一度理解すれば、短期間にそれが分からなくなるような生徒ではなかったから、問題なのだ。やはりこちらの指導上の問題だ。直ちに来週の授業までに問題を解決しなければならない。土日に徹夜覚悟でやってしまおう。

2月17日(水)

夜、OB会があった。社会人になってから数年たった教え子が二人訪ねてきた。受験時期真っ最中とあって、話題は自分たちの受験時代から始まったが、続いて学級崩壊の話に移り、戦後の教育体制批判へと発展した。途中から、イスラエルの大学に留学している教え子が国際電話で飛び入りし、にぎやかな会になった。酒の酔いが回るにつれて話が大きくなり、ローマ帝国崩壊過程と現代の日本の社会状況を比較し、酷似しているとの結論に達した。この続きは次の機会に、ということで散会したが、なかなか面白い討論会だった。

2月16日(火)

中3の公民の直前対策資料として、昨年の国際情勢レポートをまとめたが、どうも危機的な内容ばかりで、気が滅入る。インド、パキスタンの核実験、北朝鮮問題、コソボ紛争、イラク問題、爆弾テロ、金融経済危機、と不安材料ばかりだ。ユーロ問題はヨーロッパにおける発展的な話題かもしれないが、これとて先行き様々な問題を抱えているようだ。日本経済にとってはマイナスとみる見方もある。しかし、試練や困難を乗り越えてこそ、真の発展と言うべきだろう。マイナス要因を逆手にとって、プラスに転じる意欲が必要だ。それにしても、今の若者、というより日本の国民は、国際的に日本が置かれている状況をどこまで認識しているのだろうか。国家意識というものが、欠落しつつあるような気がする。平和とか、戦争とか、国とかいう概念が希薄になっているのだろう。グローバルになっているのだと言えば、聞こえはいいが、本当にこれでいいのだろうか。現実は映画「アルマゲドン」のようには危機を回避できないかもしれない。プレステのゲームに夢中になるのもよいが、それが現実世界に背を向けた逃避なら問題である。現実世界の中で強くたくましく生きていく力が大切なのだ。国際化とは弱肉強食の世界的大競争を意味している。21世紀はエネルギーと食糧を争奪し合う、恐るべき闘争の時代となるだろう。激烈な競争に日本は勝ち残れるのか。世界は、人類は共存共栄できるのか。何はともあれ、備えあれば憂いなしである。日本はあらゆる有事を想定して、政府も国民もその準備を始めるべきだろう。

2月15日(月)

午後10時、授業が終わると同時に、中3生のご両親が教室に飛び込んできた。公立高校の志望校変更に関する急ぎの相談であった。今、授業が終わったばかりの中3生本人と、ご両親、そして館長との4者面談が始まった。一人一人がそれぞれの希望を持っており、調節するのに時間がかかった。しかし、最終的には、何と言っても本人の意思を最大限に尊重して、志望校を決めた。午後11時55分であった。あとは、合格を目指して、一直線だ。しかし疲れた。早く風呂に入って、今日は早目に寝よう。

2月13日(土)

1時から6時までの中3直前特訓が終わると、いつものように柔道だ。今日は、初段昇段予定者への特訓稽古があった。通常の稽古を終えてから、その門生に対して、私と師範代とが交代で連続10本の乱取を行うものだ。昇段者には毎年、こうした稽古を3ヶ月は続けることにしている。稽古中に倒れてなかなか起き上がれなくなると、頭から水をぶっかけて、気合を入れる。途中でよく吐き気を催して便所に行く者もいるが、余程のことがなければ、それぐらいでは稽古をやめない。この特訓に耐えて、黒帯を手にすることが許されるのだ。精神、技、体力、そして人格も有段者として恥ずかしくない者と認められるまでは、我が道場では段を取らせない。そしてさらに、仕上げとして館長との本数無制限の一本勝負が待っている。私から自分の得意技で一本取るまで乱取を続けるのだ。大体、10本目から15本目ぐらいで決着がつくことが多い。勿論、私が門生の力量を見極めた上で、最終的には一本取らせるのだが、そう簡単には取らせないのが、この特訓の妙味である。門生もつらいだろうが、こっちもつらい。お互いに相当バテルまで乱取は続く。こうして、晴れて黒帯を締めた時の喜びは例えようもなくうれしいものだ。私もうれしい。黒帯を取ってからの黒帯館長特訓については、又の機会に話そう。本当の試練は黒帯を取ってからなのだ。

2月12日(金)

風邪をひいて休む者が多い。欠席補習が大変だ。今日も5人の補習が入った。公立高校の受験を控えている中3も何人か風邪をひいている。こじらせなければよいが、心配だ。館長も風邪をひいて授業を休むこともたまにはあるが、だいたい10年間で、1回から2回ぐらいだろうか。毎朝、木刀を振っているので、風邪をひいている暇がないのだ。薩摩示現流の始祖、東郷重位(しげたか)は館長の古武道における心の師である。彼は朝に3000回、夕に8000回の立木打ちを行ったと言われている。館長はそれに比べれば児戯に類するが、それでも1000回は振っている。さらに木刀5本分くらいの重さがある鍛練棒を100回ほど振る。これは昔、館長が20歳前後の頃、師事していた古武道家、平岡栄吉氏に教わったもので、館長自ら鉈(なた)と小刀で削ったものである。この鍛練棒はもう振りつづけて25年になる。相撲の蹲踞(そんきょ)の姿勢や、膝を深く曲げた柔道の自護体の構えで振るため、腕の力はもとよりだが、足腰を鍛えるのにも有効だ。木刀と鍛練棒という朝のメニューが終わる頃には、どんな厳寒の時でも汗でぐっしょりである。諸君にもお勧めしたい。日本男児ならば、いや女子も、毎朝、木刀ぐらいは振るべきである。できればぜひ鍛練棒にも挑戦してもらいたい。

2月10日(水)

本日付けの読売新聞に、中国の北京出身で、現在、日本の高知大学で助教授をなさっているシャオ・ホンイエンさんが、日本社会のしつけの低下について警鐘を鳴らしている文が掲載されていた。全く同感である。以下、一部を引用する。「日本社会について観察してみると、昔に比べて、しつけがかなり低下しているように見受けられる。子どもに対して、甘やかしたり、無関心だったり、人権尊重だの何だの言って、人格形成においてもっとも大事な「社会化(=しつけ)」という側面をおろそかにしている親が増えているように思えてならない。」これは正しい指摘だと思う。日本人として恥ずかしい話である。このような指摘を外国の人から受けなければならないとは、まったく情けない。いい加減に日本は目を覚ますべきだ。敗戦後の日本社会における民主主義も、人権主義も、平和主義も、皆どこかおかしいのだ。本来の正しい民主主義や人権主義とは歴史的伝統文化を踏まえた、極めて地域的、国民的なものでなければならない。軍国主義は確かに復活させてはならないが、人の道まで喪失させては社会そのものが崩壊してしまう。今、日本はまさにその危機に直面していると言ってよい。戦争を批判することは簡単だが、過去の歴史を全て悪として一方的な史観で切って捨ててよいものか。当時、日本が置かれていた状況を、国際的な視野をもって多角的に検討する姿勢が必要だ。戦争がいいと言っているのではない。一方的な歴史観を排除せよと言っているのだ。我々の祖先が連綿と築き上げてきた、この日本国の大地をしっかりと踏みしめてこそ初めて国民としての生きる道を理解することができるのだ。非は非として認めるとともに、われらの正義は正義として堂々主張すべきだ。それこそが国際社会における正しい姿勢である。国際的な議論も話し合いも、ここから始まるのだ。祖国への誇りを失ってはならない。日本国民としてのしつけ教育もこの誇りがあってこそ成り立つのだ。

2月9日(火)

中1と高1の英語を教えていてつくづく思ったのだが、日本という国の現状は、やはり外国語学習には、環境的に向いていないのではないか。情報や教えてくれる環境は整いすぎるほど整っているのだが、学生たちの意識構造に問題があるような気がする。そしてその意識構造の形成に、社会的環境が大きく影響を与えているのではないか。ほぼ単一民族の構成で、どこへ行っても日本語が通用する。海外の情報も特別なものは別として、たいていのものは日本語になっている。つまり何がなんでも外国語を習得しなければ生きても行けない、というようなせっぱ詰まった必要性やハングリーな意欲が一般的には存在しないということである。実際にはどの会社でも外国語の能力はますます必要性を増しているにもかかわらず、その切実さが学生にはなかなか伝わりにくいのだ。これだけ情報があふれているにもかかわらず、社会の実状が学生に伝わらないのは問題である。勿論、何でも伝えればよいと言うものではないが、国際化の時代を迎えて、外国語学習への自主的な意欲をかきたてるような工夫がもっと必要なのではないかと思う。

2月8日(月)

懐かしい訪問者があった。10年以上前に北辰館を卒業した姉弟である。二人とも実に優秀な塾生であった。勉強ばかりではなく、人格的にもどこへ出しても恥ずかしくないほどしっかりしていた。ご両親も実に立派な方であった。姉の方は、今は結婚して家庭の主婦であるが、元獣医さんである。弟は現在、警視庁に勤める警察官である。教え子の中で、医者になったものは結構いるが、獣医になったものは、おそらく他にいないのではないか。一方、警察官になったものは何人かいて、千葉県警や、警視庁に勤めている。第一号の警察官は、現在、警視庁で白バイに乗っているはずだ。いずれにしろ、教え子が訪ねてきてくれるくらい楽しいことはない。今回は、あまり時間がとれなかったが、次の機会には、ゆっくりと話がしてみたいものである。二人の一層の健康と活躍を祈りたい。

2月6日(土)

柔道の新入門生に大内刈りを教える。小学3年生の女子である。いままで2ヶ月以上にわたって、毎週毎週、受け身ばかりの単調な練習が続いたが、よくそれに耐えてきたと思う。本来は当たり前なのだが、今の子供たちはそういう単調な練習ばかりが続くと、たいてい飽きて止めてしまうことが多いので、すぐに技を教えてしまいがちだが、それは本人のためにもよくない。やはり、我慢すべき所は我慢させなければいけない。これも人間教育だ。

2月5日(金)

中入試合格者全員がそろっての英語特訓授業が、今日から始まった。2月、3月の2ヶ月間で、中1英語の少なくとも半分以上はたたきこむ。なにしろ、塾生たちの熱気がすごい。やる気満々だ。受験が終わったばかりということで、こちらとしては、あせらず、ゆっくりといこうか、と思っていたが、とんでもない。もたもたしていると、塾生たちから、もっとテキパキと進んでくれ、といわれるほどだ。誤解しないで欲しいが、彼らは決して、がり勉やではない。よく遊び、よく学びをモットーとして誠に健全な小学校生活をしてきている子供たちである。こういう心身ともに健全な子供たちもいるところにはいるのだなあ、と感心してしまう。彼らがこのまますくすくと育っていくことを心から祈りたい。館長も頑張るぞ。

2月4日(木)

中1の数学で正多面体の工作授業をやった。工作用紙に展開図を書かせてから、はさみで切り取り、セロハンテープで張り合わせて作らせた。正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体と立体模型が出来上がっていくたびに、歓声が上がってにぎやかな授業になった。たまにはこういう授業も楽しいものだ。やはり勉強には楽しさが不可欠だと思う。これからも月に一度くらいは何か手作業を楽しむような授業ができたらと思う。今年の課題として考えてみよう。

2月3日(水)

夕方、家族そろって豆まきをする。「鬼は外、福は内。」の声はでっかく、豆も派手にまく。毎年やってるが、これをやると、本当に気持ちが良い。今年1年はこれで安心と言う気持ちになる。小学生の娘の話では豆まきをやる家庭は少ないという。これはいけない。大切な日本の伝統文化だ。大いにやるべし。こういう行事は日本中がやるべきだ。家庭では勿論、学校でも、地域でも、政治家も、会社の社長も、社員も、学者も、どんな職業だろうが関係なく大いにやるべし。「鬼は外、福は内。」「鬼は外、福は内。」

2月2日(火)

小5の割合に悪戦苦闘する。比べる量、もとにする量、それに割合の関係を理解させるのに予定時間をかなりオーバーしてしまった。いつもはそれほど苦労することなく通過するのだが、どうしたわけか、うまくいかなかった。どうも「比べる量」という言葉が理解しにくいようだ。例題や類題をたくさんこなしていきながら、自然と理解できるように工夫を凝らしているのだが、今回は、最初の説明が少したりなかったのかもしれない。反省すべし。来週の復習テストは要注意だ。ところで、公立の推薦発表は予定通りの合格者をだした。めでたし。明後日からは私立が始まる。

2月1日(月)

登校拒否の中学生の母親から相談を受ける。学校でのいじめによる登校拒否だと言う。話を聞けば聞くほど、中学校のひどさに唖然とする。もはや中学校という教育の場は崩壊しているといっていい。戦後50年以上にわたって人間教育、道徳教育をタブーとしてきた結果がここに表れているのだ。軍国主義を清算しようとした日本は、なくしてはならないものまで、すべてを捨て去ってしまった。国としての誇りも、人の道も。いや、「国」とか「国家」とか、「人の道」というような言葉すら、使うことをはばかられるような社会になってしまった。これを建て直すのは容易なことではない。その上、戦後の高度経済成長は、高度情報化社会を生み出し、それは人々に新たなストレスを与えることになった。国や社会の有り様を根本的に考え直さなくてはならないだろう。解決への道は遠い。しかし、できることから始めよう。こころあるものが、たとえ一人でも、勇気を持って改革への第一歩を踏み出すことが必要だ。私にもできることがあるはずだ。そうだ、ただしい歴史を教えることから始めてみよう。やれるだけのことはやってみたい。

1月30日(土)

中3直前特訓、小6中入試直前特訓、と追い込み授業が続く。疲れてもいられない。風邪をひいてもいられない。塾生たちのストレスも大変なものだろうが、この時期、リラックスさせるのは難しい。たかが入試ではないか、と言いたい気持ちもあるが、されど入試でもある。とにかく全力を尽くすのみだ。柔道の方では、初段昇段予定者の形稽古が今日から始まった。4時間の稽古が終わった後での特訓指導なので、教える方も、教わる方もきついものがあるが、やはり楽しい。好きな道とはそういうものなのだろう。

1月29日(金)

中2の国語で助詞と助動詞を教えた。20年近く教えてきても、文法の授業は難しい。どうやったら、面白く、しかもよくわかる授業になるか。例文の内容を面白いものにしたり、クイズ形式の授業もやった。しかし結局の所、駄じゃれの連発で笑わせて、盛り上がったところで一気に説明するしか手がない。確かに面白い、笑いに満ちた授業にはなるが、はたしてこれでいいのか。いや、いいはずがない。文法の勉強そのものを楽しんでいるわけではないからだ。それでも成績は上がっているのだから、これでいいではないか、とも思うのだが。何かいい工夫はないものか。

1月28日(木)

今日は記念すべき事があった。今日の授業を最後に卒業する高3生の一人が、今月で通塾9年、詳しくは106ヶ月に及んだことである。小学4年生から高校3年生まで本当に長い期間通っていただいた。心からお礼を申し上げたい。記録的には最長期間であった。もっとも、我が北辰館は長期通塾生が多いことも事実だ。高校生クラスの3分の1は7年から8年は通っている。中学生でもほとんどが小学生時代からの通塾のため5年や6年は当たり前である。今回の生徒も9年

が問題なのではなく、106ヶ月で最長になったのだ。2位は105ヶ月である。長ければ良いと言う訳ではないが、塾通いがいい意味で子供たちの生活の一部になっているとすれば、塾人としてこれ以上の喜びはない。昨年は何回目かの教え子の仲人を務めた。今年もすでに相談がきている。有り難いことだ。我が塾生は本当にいい生徒ばかりだ。学級崩壊など一体どこの世界の話だと思うくらいである。要は信頼関係に尽きると思う。これからも自信をもって頑張りたい。

1月27日(水)

今日で内部生の保護者面談が全員終了した。中学受験組の小6も、全員が個別指導クラスで継続することになった。従って、中3で卒業する者と高3生以外はすべてそのまま継続となったわけである。例年通りとは言え、やはり有り難い。この信頼には何としても応えなければならない。初心忘るべからず。

1月26日(火)

地元の中学校でも学級崩壊的状況があるらしい。どの程度か、詳しくは知らないが、クラスによっては、かなり深刻だという話も聞いた。小学校のPTA会長を務める身としては無関心ではいられない。いや、一人の父親としても同じである。やはり、戦後50年の日本の歩みに問題があったのだろう。勿論、やむをえぬ事情はあっただろう。経済復興を優先せざるをえなかったことも理解できる。しかし、もういいのではないか。経済も大切だが、人の道を忘れてはならぬ。今こそ、人間教育を再生しなければならないと思う。家庭の教育力も復活させなければならない。それには、政財界も地域社会も日本人すべてが協力しなければならない。国家が国家として姿勢を正すことも必要だ。日本は独立国家として本来の姿を取り戻すべきだろう。このままではこの国は危ういのではないか。この危機感を北辰館スクールから全国の良識ある人たちへメッセージとして送りたい。

1月25日(月)

昨日の日曜日には、親道場である東京の天野道場で鏡開きの紅白試合があった。勿論、門弟を引連れて参加した。自分は審判の一人としてお手伝いしたが、我が塾生の試合ともなると、こちらまで緊張してしまう。皆、いい試合をしたと思う。積極的に技をかけていく姿勢を示してくれて、見ていても気持ち良かった。親道場と子道場をあわせて50人を越えるほどの参加選手のうち、ただの一人も、教育的指導を受けなかった。つまり、お互いに休むことなく攻撃したと言うことである。敢闘精神は健在であった。

1月22日(金)

昨日に続いて中学や高校の合格を知らせる電話の音が続く。「そうか、やったな。合格おめでとう!」何度言ってもいいせりふだ。今年度合格者の第一陣。予定通り、全員合格した。

1月21日(木)

昨日は夜、OB会があった。毎月一回、卒業生の社会人が集まる会である。年齢的には二十代の者が多い。入社してからの苦労話をする者、将来の夢を語る者など、話題は様々だが、最後は決まって、北辰館時代の思い出話に花が咲く。酒を酌み交わしながら、教え子と話をするのもいいものだ。来月がまた楽しみである。

1月19日(火)

先日のセンター試験に続いて高校入試も今日から第一陣がスタートした。明日からは中学入試も始まる。今までの塾生たちの努力の成果が決まる時だ。お互いに全力は尽くしてきた。あと一息だ。全員合格まで頑張るしかない。

1月18日(月)

北辰館の卒業生で元講師でもある女の子からメールが届いた。彼女は今、アメリカで仕事をしている。教師にとって、教え子の便りほどうれしいものはない。彼女のメールによれば、猛烈に忙しそうだが、元気そうで何よりだ。どこで働いていようと、日本人としての誇りを持って頑張って欲しい。館長の教え子としての誇りと自信も忘れずに頑張って欲しい。彼女の前途を祝して乾杯!

1月16日(土)

新中2クラスが早くも満席になってきた。小学生と中学生の完全個別クラスもほぼ満席状態だ。これらのクラスはこれからの募集を制限するか、新クラスを作らねばならない。うれしい悩みというべきか。他のクラスもバランスよく席がうまるとよいのだが。

1月14日(木)

新年度生の申し込みが入ってきた。内部生の兄弟姉妹は例年通りだが、何といっても口コミによる紹介が多い。要するに授業の中味で勝負するしかない。それはともかく、今日は高3クラスの英文解釈の予習にかなりのエネルギーを使ってしまった。もっと勉強しなければいけない。

1月12日(火)

今日から保護者面談が始まった。保護者の様々なニーズにできるだけ応えたいが、現実はなかなか厳しいものがある。できることはできるとし、できないことはできないと、はっきりさせた上で、できると請け負ったことは全力を出して何がなんでも実行するしかないだろう。当たり前のことかもしれないが、やはりこの道しかないと思う。

1月11日(月)

昨日の北辰館柔道場紅白試合は熱戦だった。個人戦も団体戦も内容が良かった。特に、小学生の奮闘振りはめざましく、1月24日(日)の東京の天野道場での紅白試合が楽しみになってきた。午後は、事務所のスタッフからパソコンの特訓を受ける。こちらの飲み込みが悪く、スタッフはさぞストレスがたまったことだろう。館長としても生徒の立場がよくわかって、いい勉強になった。ただ、ぶっ続けの6時間研修はさすがに疲れた。スタッフのI君も本当にご苦労様でした。

1月9日( 土)

今日は柔道の初稽古だった。今年から新しく小学3年生の女子が入門した。小学生の部がにぎやかになった。中学生、高校生、大学生、さらに一般社会人まで、皆、気合いが入っている。2週間ぶりに4時間の稽古をしたが、体調は心配していたほどではなかった。正月休み中にも軽く基礎トレーニングをしていてよかった。小内刈り、大内刈り、大外刈り、一本背負い、釣り込み腰、背負い投げ、と連続打ち込みをしていても、それほど息切れしないのは調子の良い証拠だ。左肩の具合が良くないのだが、乱取で思い切って左背負いをかけてみたが、きれいにきまって、痛みもほとんどなかった。寝技はいつもより体が固く感じた。柔軟体操をもっとやらなければいけない。塾生の動きも良い。明日の紅白試合が楽しみだ。

1月7日(木)

今日で冬期講習会が終わった。欠席補習が若干残っているが、ほぼ予定通りだ。完全個別指導も定着してきたようで、塾生たちの学習振りも板についてきた。正答問題数が1000題を越えるものも出てくるかもしれない。まだ集計がすんでいないのでなんとも言えないが、結果が楽しみだ。量ばかりではない。質的にも今回はかなり工夫をこらしたつもりだ。塾生たちの平常クラスにおける小テストから苦手な分野を調べて、それらを最優先にして特別なカリキュラムをつくった。勿論、今までにも同様な試みはしてきたのだが、今回は特に力を入れた。確かな手応えを感じた。模試の結果や今後の成績を見なければなんとも言 えないが、まず間違いないだろう。さて、明日からは、受験直前特訓が始まる。保護者面談や新年度生の入塾受付の準備もしなければならない。待った無しだ。昨年のうちに、新年度のスケジュール調整や春期講習会の準備を済ませてあるので、慌てることはないが、今年も忙しいことには変わりはないようだ。しかし、忙しいうちが人生の花だとも言うじゃないか。誠にありがたいことである。

1999年1月1日(金)

1年の計は元旦にあり。 今年も、今日から頑張りたい。

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