館長日誌 1999年 9〜10月

10月27日(水)

今日はパソコン関係雑誌の取材を受けた。「パソコン使ってます」という記事に登場することになるらしい。ホームページを見て取材を決めたらしいが、こちらはまだまだ初心者の域を出ていないので、何を話したらよいのか、心配だったが、ソフトに関する技術的なことではなく、実際の利用状況を話して欲しいということだったので、安心した次第。コソボ紛争の際にアルバニア系とセルビア系の英文のホームページを取り出して、高校生の英語の副教材として使った話や、ホームページを見て柔道に入門した塾生の話など、楽しい取材だった。ホームページの実質的製作者で管理者でもある飯野君にも同席してもらって、いろいろとフォローしてもらった。しかし、写真を撮る時はびっくりした。本格的なプロのカメラマンに、照明装置まで持ち込んでの撮影だったので、いささか緊張した。カメラマンの方には仕事とはいえ、こんな中年おやじを激写させて気の毒というか、申し訳なかった。柔道衣に着替えた姿も撮影し、こちらは結構面白かったが、本当にご苦労様でした。これからもパソコンやインターネットを活用して充実した塾運営をしていきたいと思う。ライターの山内素子さん、カメラマンの中村宏さん、本当にありがとうございました。

10月15日(金)

中間試験が一段落した。一部の中学がまだ残っているが、塾生の9割は終了とみていい。勿論、全員が終わるまで対策は続く。成果があがるとよいが。ただ、いつも思うことだが、学校によって、試験の日程が大きく違っており、最大では3週間近くずれている。普段から学校別クラス編成にしてあれば問題ないが、それだけの余裕が無い塾では対応が大変である。結局、臨時の処置として、一時的な学校別指導を導入するしかないが、先に終わってしまった学校の生徒と、まだ2週間も先の生徒を一緒にはできず、個別指導をするしかない。はじめから個別指導クラスなら問題ないが、本来、集団指導をするクラスの場合は、かなり複雑な状態となり、できなくはないし、今までもやってきたのだが、やはり何となく落ち着かない。やはり完全個別にするしかないかもしれないが、講師の数や教室の形態など、簡単にはできない。また、塾長による集団指導の魅力も捨て難く、言わば看板授業を自ら廃止してしまうことにもなりかねない。ある程度の集団による、競争型の指導の方が効果的な場合もあるのだ。個別型と集団型のバランスの取れたクラス編成にすべきだろう。来年度のクラス編成はこれらの点を考慮して大改革を行った方がいいようだ。また忙しくなるぞ。いや、忙しいのはいいことだ。

10月5日(火)

今週から学校によっては中間テストが始まった。中間対策に相変わらず追われているが、生徒諸君の盛り上がりがまだ今一つというところ。急き立てたり、いたずらにテストだ、テストだと騒ぎ立てるのもどうかと思うので、なるべく生徒たちの自主性に任せたいが、現実はやはりのんびりとは構えていられない。ついつい叱咤激励調になってしまう。まあ、これが館長としての持ち味だと思ってどなっている。生徒たちの奮闘を祈る。

10月1日(金)

全日本学習塾連絡会議の会合に出席した。場所は第二衆議院会館第一会議室。出席者は文部省、通産省の役人と、自民党文教部会長、及び文教関係議員など。内容は、生涯学習審議会の答申後の政策についての塾側との意見交換。感想はいろいろあるが、やはり文部省としては塾をつぶしたいようである。塾の実態をよく分かっていない点は論外だが、何故それ程じゃまなのか、理解に苦しむ。塾がどうであろうと、学校は学校で堂々とやればよい。民間教育の場に国家権力は介入すべきではないのだ。塾側の対応にも問題がある。学校教育の補完としての新たな利権を漁るような態度は見苦しい。そういう質問をしていた塾人もいたが、いかにも何か儲け話はないかというような態度で、聞いていていやになった。商売であることは勿論だが、自ずと節度というものがあろう。子供たちを相手にしているという社会的責任も自覚してほしいものだ。自民党文教部会長が教育基本法はアメリカの圧力の下で作られたものであり、日本の伝統文化を踏まえたものに改正すべきだ、と力説していたが、これは大賛成である。塾人ももう少し国家的視野を持って欲しい。今教えている子供たちが間違いなく21世紀の日本を背負うのだから。

9月29日(水)

学校説明会が連日行なわれている。全てに出席することは物理的に不可能だが、行ける日にはなるべく出席するようにしている。昨日も某私立の説明会に出席したが、もはや選抜のための入学試験は存在しないと言っていいような感じであった。自己推薦、塾推薦、第一志望など、要するに入りたいという意志を示しさえすれば必ず合格するのである。これでは試験とは言えない。入学資格審査に近い。はじめから無試験とはっきりさせた方が良いのではないかと思う。私立の経営が大変なことは十分にわかるし、様々な進学コースがあっていいという意見も分かる。しかし、ここまで子供たちに試練を与えないという社会は本当に正しい社会なのだろうか。レベルが低くてもそれなりに競争させることはお互いのためになると思うし、努力をしなければ世の中は生きていけないということを教えることも大切なのではないか。推薦制度やそれに類似した制度はすべて撤廃し、私立学校の入学試験は全て一般入試のみとすべきである。おそらく私立学校の半分ぐらいはつぶれるだろう。しかしその英断が今の日本の教育には必要な気がする。一方、公立学校は私立とは本来設立の趣旨から違っている。国家がその構成員たる国民に対し、必要にして最小限の教育の場を国家の責任で提供し、国家を維持するための人的基盤を確立することが目的である。無償で無試験であるべきだ。しかし、入ってからの能力別指導や競争意欲をかきたてるための選抜クラスの設置などは必要であろう。卒業も厳しくすべきだ。定期試験を厳格に実施し、単位取得にもっと達成感を抱かせるようなシステムを導入すべきだ。子供は鍛えなければ一人前にはならないことを忘れてはならない。国際社会は激烈な競争社会でもある。タフな国民を養成しなければ日本は衰亡の一途をたどるだろう。教育はまさに国家戦略の中心でなければならない。反日勢力の巧妙な洗脳にだまされてはいけない。彼らは日本の子供たちを無気力で、それでいてわがままな人間にしようとしているのだ。子供たちは子供として守られるべき権利は有しているが、一人前の社会人としての人権は有していない。まずこのことからはっきりさせよう。社会的責任の取れないものに社会的権利を与えてはならないということは常識以前のことだ。義務を伴わずに権利だけをいたずらに主張させることは、決して子供のためにはならない。自らを堕落させ、破滅させるだけである。義務と権利とは常にバランスがとれていなければならないのだ。児童虐待等の問題も子供として保護されるべき権利の問題として扱うべきである。人権という言葉は使うべきではない。恐るべき誤解を生むからだ。これは差別ではない。正当な区別というべきだ。子供は社会にとっては宝である。何よりも大切なものだ。親はもちろん、社会全体が愛情をもって育てなければならない。だからこそ子供は大人とは違うのだということを我々は再認識すべきだろう。本当は当たり前のことなのだが、それをあえて勇気をもって言わなければならないところに戦後の日本社会の異常さがあるのだろう。我が同胞の日本人諸君、覚醒せよ。

9月25日(土)

先日の23日、所用で浜松を訪れた際、午前中に時間が取れたので、豊橋まで足を伸ばし、そこから飯田線で三河本郷まで行った。ここは設楽原の入り口といっていいところだ。設楽原、つまり長篠の役の古戦場跡である。3,000挺の鉄砲の前に武田騎馬軍団が壊滅した歴史的戦いの跡を訪ねて、私は感無量であった。竹広激戦地と記してある石碑の前に立った。その日にタイムスリップすれば、おそらくここは戦場のど真ん中であろう。突撃する騎馬軍団に私は一瞬で踏み潰されているかもしれない。いや、それより先に織田軍の鉄砲隊の一斉射撃で蜂の巣にされていたかもしれない。軍馬のいななき、とどろきわたる鉄砲の射撃音、武将たちの雄たけび、私はめまいがしそうであった。今は、のどかな田園と林が広がる、地方都市の郊外である。近くには飯田線が走り、駅前には小さな町ができている。とてもあの日、大激戦があったところとは思われない風情だ。芭蕉の句ではないが、まさに、「つわものどもが 夢の跡」の感があった。

9月17日(金)

15日には新宿で塾全協主催の進学相談会があった。広報担当のため、カメラとビデオを手にして会場を歩き回った。疲れたなりの充実感はあったが、疑問も残る。果たしてこうしたイベントは本当に絶対に必要なものなのかと。少なくとも館長が開成中学に合格した時、この学校に対する情報はほとんど無かった。こうした説明会や相談会にも一度も参加したことが無かった。小学校の先生に薦められて受験しただけで、両親も開成中学についてはほとんど知らなかった。塾で一回だけ一通りの説明を聞いただけである。今の保護者や受験生を見ていると、あふれんばかりの膨大な情報に振り回されているような気がする。生徒が欲しい私学の気持ちも、私学とパイプを持ちたい塾経営者の気持ちも分かるが、そろそろ塾人としての良心的な対応が求められているのではないか。21世紀の民間教育の発展を考えるなら、教育に対する哲学を塾人は持たなければならないだろう。金もうけも経営も大切なことかもしれないが、その前に良識ある教育者でありたいと思う。さし当たっては、情報化社会への対応として、本当に必要な情報を整理して伝えるべきだろうし、競馬の予想屋のような勉強ではなく、しっかりと地に足をつけて、本当の実力を養うべきだろう。今、塾人は社会的存在意義を真に問われているのだ。それは我々の見識を試されているといってもよい。正念場である。

9月6日(月)

夏期講習会の欠席補習や塾生の柔道昇段審査など、何だかんだと忙しく、館長日誌が書けなかった。お詫び申し上げたい。今月は館長自身の柔道の試合が予定されている。毎朝のトレーニングは順調だが、ややもすると睡眠不足になるため、絶好調とは言い難い。とにかく睡眠時間をいかに確保するかが毎日の重大な課題となっている。今日は中学生3名の入塾申込があった。有り難い。

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